戦災復興から平時の都市計画へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 15:01 UTC 版)
「戦災復興都市計画」の記事における「戦災復興から平時の都市計画へ」の解説
戦後、日本の都市計画は戦災都市を復興することに最大の関心を寄せていた。しかし、次第に戦災復興のみならず、非戦災都市の近代化、都市改造、つまり、平時の都市計画へと移行していく。1952年(昭和27年)、耐火建築促進法が成立し非戦災都市も対象にした防火建築帯を造成する事業が制度化される。 1954年(昭和29年)、土地区画整理法が成立し全国の都市計画区域内の土地について公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図る事業が制度化される。戦災復興都市計画の根拠となった特別都市計画法は、土地区画整理法施行法(昭和30年4月1日)により廃止となっている。戦災復興土地区画整理は土地区画整理法施行法(昭和20年5月20日法律第120号)の規定により、新法に切り換え施行されることとなり、従来特別都市計画法に基き行われた処分、手続等は新法の規定に抵触するものを除き、総て新法の規定に基き行われたものとみなされて、円滑に事業が継続実施された。 1957年(昭和32年)に戦災復興土地区画整理事業の収束計画を作成、昭和33年度をもって戦災復興事業の打切りという収束計画を決定し、必要な事業は別事業に切り替えて継続することとなった。 1956年(昭和31年)には、土地区画整理事業によって道路整備を推進する都市改造事業が創設され、1958年(昭和33年)には道路整備特別会計が創設され都市改造事業が道路特会予算となる。戦災復興土地区画整理事業の残事業は、昭和34年度より戦災関連都市改造事業として収束することなる。 1961年(昭和36年)には、市街地改造法、防災建築街区造成法が成立し、道路や広場といった公共施設等と一体となって建築物を整備する都市再開発手法が整備される。1968年(昭和43年)には、都市計画法が新法として制定され、土地区画整理事業は都市計画事業として規定される。1969年(昭和44年)には、都市再開発法が成立(市街地改造法、防災建築街区造成法を整理・統合)し、市街地再開発事業が整備される。以上のように、都市計画は戦災都市から非戦災都市へと対象を拡大し、都市の中心部における都市改造の事業手法は平面的なものから、公共施設と一体的に建築物の整備を図るものが創設され活用されるようになっていく。
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