優等列車への投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:08 UTC 版)
東海道本線優等列車沿革・近鉄特急史#近鉄線と並行する国鉄・JR線の優等列車・東海 (列車)・踊り子 (列車)も参照のこと。 接客設備が電車としては良好であったため1950年10月、伊豆方面への温泉準急列車「あまぎ」「いでゆ」「はつしま」に投入され、東京 - 熱海間において当時の客車特急列車と同等の所要時間90分で走行する高速運転を行った。 その後、1957年には東京 - 名古屋・大垣間の「東海」、名古屋 - 大阪・神戸間の「比叡」両準急列車に300番台車が投入され(サロのみ一部0番台を含む)、従来の客車急行列車を凌ぐ俊足と高められた居住性により、電車でも長距離優等列車運用が可能であることを実証した。 「東海」(担当:大垣電車区) ← 大垣・名古屋 東京 → クハ86 モハ80 サハ87 モハ80 サロ85 サロ85 モハ80 サハ87 モハ80 クハ86 「比叡」(担当:宮原電車区) ← 神戸・大阪 名古屋 → クハ86 モハ80 サハ87 モハ80 サロ85 サハ87 モハ80 サハ87 モハ80 クハ86 なお両列車とも1958年に153系へ置換えられた。 一方、高崎線・上越線・東北本線筋でも1958年11月から上野 - 水上間の「ゆけむり」をきっかけに、以下の準急列車に投入された。 「あかぎ」(上野 - 前橋) 「苗場」(上野 - 越後湯沢) 「ゆきぐに」(上野 - 長岡) 「ふたあら」(上野 - 宇都宮) 「だいや」(上野 - 日光) 「しもつけ」(上野 - 黒磯) なお、80系には、ほかの旧形電車にはみられない各座席の席番表示(数字のみ)が、全車全席(ロングシート化改造部分を除く)にあり、優等列車をはじめとする座席指定列車に充当することも容易だった。一方、70系などほかの旧型は、臨時の定員制列車(ワッペン列車など)などに充当するまでにとどめざるを得ない部分でもあった。
※この「優等列車への投入」の解説は、「国鉄80系電車」の解説の一部です。
「優等列車への投入」を含む「国鉄80系電車」の記事については、「国鉄80系電車」の概要を参照ください。
優等列車への投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 12:04 UTC 版)
「国鉄キハ58系気動車」の記事における「優等列車への投入」の解説
1961年4月にキハ56系が根室本線の「狩勝」で、7月にはキハ57系が信越本線の「志賀」で、そして10月にはキハ58系が中央東線・大糸線の「アルプス」で、それぞれ急行列車として営業運転を開始した。以後、キハ56系・キハ58系は毎年100 - 200両単位での大量増備が続けられ、日本各地の非電化区間の急行列車に多数投入された。 夏期に海水浴客対応のため特別ダイヤが組まれる房総地区や繁忙期となる北海道地区では、増結や臨時列車が大量増発されることから他地域からの借受車のほかに新製や転入による正式所属車が多いのも本系列の特徴である。これらの車両の多くは夏期の2 - 3か月のみ該当地区の車両基地所属でシーズン終了後に他地域へ転出した。 新製が打ち切られた1970年代以降は幹線電化の著しい進展に伴い急行列車は電車化さらには特急列車への格上げが進められた結果、気動車急行列車は徐々にその運用域を狭めた。本系列は1960年代から速度や普通車でも非冷房車があるなど設備水準が改善されておらず、時代の潮流に取り残されつつある存在であった。 グリーン車は1970年代中期に余剰車が出始め、1975年3月10日ダイヤ改正で最初の廃車が発生した。一部は荷物車や郵便荷物合造車へと改造されたほか、四国地区では1980年10月1日のダイヤ改正で普通車指定席車両への格下げが実施された。分割民営化時にキロ28はJR東海に7両、JR西日本に14両の計21両が承継されたが、20両が4VK冷房電源装置搭載の末期製造車となる2300・2500番台で、長大編成対応の100番台からは2162のみ。0番台は国鉄時代に全車が廃車もしくは他形式に改造された。 しかしその一方で、1980年代に至っても複雑な分割・併合を行う多層建て列車もまだ多数存在しており、本系列による急行列車は最盛期より減少するも運転は行われた。 金沢 - 青森間「しらゆき」・上野 - 秋田間奥羽本線経由「おが」・名古屋 - 新潟間中央西線・篠ノ井線・信越本線経由「赤倉」など車両需給や運用の関係から全線電化区間を走る列車も残存していた。 1982年の東北・上越新幹線開業に伴うダイヤ改正では、本系列が多数投入されていた東北・上信越方面の急行列車が、減便・特急格上げ・廃止などの整理対象となった。 エキスポライナーでの運用 「みよし」最終列車 1985年3月14日のダイヤ改正では九州地区でもグリーン車の廃止が実施されたほか、引き続き多くの急行列車が特急列車への格上げもしくは快速列車への格下げとされたため以前に比較しても大量の余剰車が発生し、以下の傾向が見られた。 後述する普通列車運用へ転用。 ジョイフルトレインの改造種車。 引き続き急行・快速運用に投入される車両は座席を転換クロスシートや回転クロスシート・リクライニングシートに換装するアコモ改良を施工。 これらとは別に1985年3月17日 - 9月16日に開催された科学万博の会場へのアクセスのために臨時快速「エキスポライナー」が常磐線で運転されたが、この列車には開催3日前のダイヤ改正で廃止となった急行「ときわ」「奥久慈」に充当されていた水戸機関区所属の本系列余剰車も投入された。 その後は、1990年代から2000年代初頭にかけて全国でほとんどの気動車急行列車は廃止または特急への格上げで消滅した。本系列を用いた最後の定期急行列車はJR西日本芸備線の「みよし」であったが、2007年7月1日ダイヤ改正で廃止された。
※この「優等列車への投入」の解説は、「国鉄キハ58系気動車」の解説の一部です。
「優等列車への投入」を含む「国鉄キハ58系気動車」の記事については、「国鉄キハ58系気動車」の概要を参照ください。
- 優等列車への投入のページへのリンク