昭和20年以降の行動とは? わかりやすく解説

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昭和20年以降の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 14:10 UTC 版)

利根 (重巡洋艦)」の記事における「昭和20年以降の行動」の解説

1945年昭和20年1月1日附で利根練習艦指定される同日附で利根呉練習戦隊司令官堀江義一少将)に編入した。呉練習戦隊は4隻(利根磐手出雲八雲)となる。2月15日戦隊軽巡大淀加わった18日舞鶴港出港し20日に呉に到着した3月19日利根海軍兵学校練習艦として呉にて停泊中、アメリカ第58任務部隊による空襲至近弾1発を受け、三番砲塔使用不能となった江田島湾の津久茂沖合錨泊したのち、大破着底した場合備えて能美島海岸付近に移動する小枝などで偽装施した7月24日第38任務部隊によって再度空襲を受け、左舷中央部直撃弾を受ける(呉軍港空襲)。7月28日にも再度空襲を受け、アメリカ軍艦載機空襲により左舷後部直撃弾2発と至近弾6発を受けた左舷後部直撃弾は1000ポンド爆弾で、地上施設破壊用の瞬発信管であり、利根装甲板貫通せずに爆発した被害甚大であり、至近弾もあいまって大浸水きたした一時左舷20度以上傾斜したが、対岸海軍兵学校などからも応援呼んでダメージコントロール努め転覆を防ぐため注水作業実施7月29日着底終戦迎えたアメリカ軍による調査実施後利根同年11月20日除籍された。1947年昭和22年4月7日から播磨造船所船渠により解体着手1948年昭和23年5月4日浮揚成功同年9月30日解体完了利根解体をもって呉地区沈没艦解体完了した。 現在、能美島江田島湾)の利根着底場所付近には、慰霊碑建てられている。また慰霊碑隣接して軍艦利根資料館」があり、利根舵輪、副碇、信号燈コンパスなどの遺品装備品)や精密なミニチュア模型など展示されている。 利根慰霊碑 軍艦利根資料館 艦内使われていた浴槽

※この「昭和20年以降の行動」の解説は、「利根 (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「昭和20年以降の行動」を含む「利根 (重巡洋艦)」の記事については、「利根 (重巡洋艦)」の概要を参照ください。

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