呉練習戦隊
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「香椎 (練習巡洋艦)」の記事における「呉練習戦隊」の解説
1943年(昭和18年)12月1日、日本海軍は呉練習戦隊(鹿島、磐手、八雲)を編制する。呉練習戦隊司令官は有馬馨少将(海軍兵学校副校長兼務)。香椎は第一南遣艦隊から除かれると共に12月31日付で予備艦となり、練習兼警備艦に指定され、呉練習戦隊に編入された。1944年(昭和19年)1月6日、佐世保に到着する。以降、佐世保で修理と整備を実施した。 1月下旬、香椎は佐世保に繋留中だった軽巡洋艦平海の曳航を下令される。2月3日、香椎は平海を曳航して佐世保を出発する。翌日呉到着、平海を引き渡した。2月中旬以降、呉練習戦隊(鹿島、香椎、磐手、八雲)は瀬戸内海において、練習艦として行動した。同時期、装甲巡洋艦出雲も呉練習戦隊に編入された。 3月5日、香椎艦長は高田大佐から、松村翠大佐へ交代した。この頃、内海西部にあって練習艦としての任務に従事した。3月22日、海軍兵学校卒業式に高松宮宣仁親王(軍令部大佐、昭和天皇弟宮)が臨席することになり、高松宮は鹿島を御召艦とする。香椎は御召艦予備艦として、共に江田内に在泊した。この日は江田内に呉練習戦隊の5隻(鹿島、香椎、磐手、八雲、出雲)がそろっていた。同日、鹿島と香椎は江田内を出港、兵学校を卒業した少尉候補生を大阪まで輸送した。23日大阪着、25日呉に到着した。同日(3月25日)、香椎は呉練習戦隊より除かれ、海上護衛総司令部部隊に編入された
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