練習戦隊、輸送任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 09:50 UTC 版)
「鹿島 (練習巡洋艦)」の記事における「練習戦隊、輸送任務」の解説
12月1日、鹿島は新編の呉練習戦隊に装甲巡洋艦磐手、八雲と共に編入し、以降は主に内海で海軍兵学校生徒らの乗艦実習などを担当した。しかし戦局が悪化し、1944年7月以降はしばしば練習戦隊を離れ、連合艦隊司令長官の指揮下で沖縄や台湾への輸送任務に従事した。 鹿島は12月から1月にかけ、整備と修理、乗員の訓練などを行った。12月31日、練習戦隊に香椎が編入した。 1944年(昭和19年)1月16日、修理を終えた鹿島は磐手、八雲と共に乗艦実習を開始した。2月26日、機密呉鎮守府命令第42号(詳細不明)を受けた。3月22日、兵学校卒業式で皇族乗艦のために香椎と共に江田内に在泊。この日は磐手、八雲、2月20日に編入した装甲巡洋艦出雲も江田内にあり、呉練習戦隊の5隻がそろった。その後、6月まで修理や海軍兵学校生徒の乗艦実習などに従事した。 7月11日、沖縄方面への輸送作戦「ろ号作戦」部隊に編入された。作戦は第十一水雷戦隊(司令官:高間完少将)の指揮下で長良、重巡摩耶、鹿島、駆逐艦清霜、竹、朝雲、浦風、冬月が参加し、出撃時に主隊(長良、摩耶、鹿島)と警戒隊(冬月、清霜、竹、朝雲、浦風)が編制された。鹿島は7月17日に沖縄に到着、輸送を成功させた。8月、再び沖縄方面への輸送任務に就いた。7月から実務練習で鹿島乗艦の新任海軍少尉は、ろ号作戦時に離艦したが、8月の輸送任務では乗艦した。9月17日から連合艦隊司令長官の指揮下に入り、台湾方面への輸送任務のため9月に基隆、10月に高雄に向かった。11月から12月は海軍兵学校生徒や海軍砲術学校練習生の乗艦実習を行うと共に、呉で訓練整備、補給を行った。
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