練習戦艦比叡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:24 UTC 版)
ワシントン海軍軍縮条約により新戦艦の建造を凍結した各国であるがそれでも既存の艦の維持費で財政が圧迫されていた。そのため1930年(昭和5年)締結のロンドン海軍軍縮会議では主力艦の一部破棄も決定した。日本海軍では1隻破棄とされ金剛型の中で最後に工事中だった比叡が選ばれた。ただし条件を満たせば練習戦艦としての存続が認められたのでそれに沿って改装された。主な改装点は 4番砲塔の撤去(主砲塔は3基を超えない条件) 魚雷発射管の全廃 舷側装甲の撤去 主缶は重油専焼缶大型2基、小型3基、混焼缶6基とし、出力は16,000馬力とする。(速力18ktを超えない条件) などである。兵装はその後に高角砲を12.7cm砲に交換するなど、練習戦艦ながらその時の最新の装備が搭載されている。 またこの当時の比叡は御召艦としても利用された。これは元々戦艦であり更に兵装が撤去されたことにより艦内に余裕があること、また艦隊に属していないため比較的自由にスケジュールがとれる、などの理由による。このため3番砲塔後方と4番砲塔跡に展望台が設けられている。比叡は1933年(昭和8年)と1936年(同11年)の観艦式において御召艦を務めた。また第二次改装終了直後の1940年(昭和15年)の観艦式でも御召艦を務めている。
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