鉄道伸長期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:55 UTC 版)
新橋~横浜間の創業から20年間で2000km足らずが、13年間に6000kmも増える急伸長で、全国の主要幹線と目される線区はこの期間にほぼ完成した。特に日清戦争後の鉄道の発展ぶりはめざましく、鉄道キロの伸長もあって、旅客が4.7倍、 貨物が27倍の激増であった。そのため、戦後は輸送力の増強改善が積極的に採り上げられた。 本州の蒸気機関車はイギリス型のみだったが、アメリカ・ドイツも進出し、また各私鉄がそれぞれの輸送事情の選定と先進国からの積極的な売り込みもあって 購入したため、世界の代表的車両メーカーのほとんどの機関車が揃うほどの多形式にわたった。 1899年に東海道線、91年に日本鉄道により東北線上野~青森間、94年に山陽鉄道が広島に達して、長距離列車が多くなった。より高性能の機関車が求められた。列車のスピードアップが著しく、1894年に山陽鉄道は神戸~広島間に、我が国最初の急行列車(8時間47分、表定速度34.7km/h)を設定した。山陽鉄道は並行の内航海運との競争もあって、列車のスピードアップとサービス改善には積極的で、優れた線形 (曲線半径は300m以上、勾配率は瀬野~八本松間を除いて10%以下)を生かして、最初の急行列車の運行となった。 次いで、官鉄でも96年に新橋~神戸間に急行列車 (17時間22分、表定速度34.8km/h)が設定され、 在来の各停列車より3時間も短縮した。 本格的の総合車両メーカーとして、1886年に汽車製造が大阪で設立され、同年に後年総合車両メーカーになった日本車輌製造が、本州のほぼ真ん中の名古屋で発足した。鉄道国有化後の1908年に、川崎造船所が専門の車両工場を設立して総合車両メーカーに参加した。しかし、基礎技術について自信を深めるには明治の末まで待たねばならなかった。また車軸など特殊な鋼製部品の国産化は第一次世界大戦による輸入品途絶後になった。
※この「鉄道伸長期」の解説は、「日本の蒸気機関車史」の解説の一部です。
「鉄道伸長期」を含む「日本の蒸気機関車史」の記事については、「日本の蒸気機関車史」の概要を参照ください。
- 鉄道伸長期のページへのリンク