オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況
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「スカリッツの戦い」の記事における「オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況」の解説
オーストリア側の司令官ベネデック(英語版)大将は指揮下の北軍(Nordarmee)とともに西進し、ザクセンから進軍するプロイセン軍を、王太子軍と合流を果たす前に撃破する計画を立てた。この目標を達成するため、オーストリア大公レオポルト(英語版)中将率いる第8軍団が、プロイセン軍の進撃を阻止する手はずであった。このため1866年6月28日の午前10時30分頃、ベネデック大将は参謀長のギデオン・フォン・クリスマニク(ドイツ語版)少将を伴い、スカリッツ(英語版)に到着する。 ラミンク中将はベネデック大将との協議で、自身の指揮下にある投入可能な部隊をもって第8軍団を強化し、北上するタスィロー・フェステティクス・デ・トルナ(ドイツ語版)中将の第2軍団とともにこの地でプロイセン軍を撃破するよう進言した。地形は防御に有利であり、オーストリア軍砲兵はヴィソコフ高地までの低地をほぼ全域にわたって射程に収めていたからである。ベネデック大将も当初はこの計画に賛意を示していたが、11時頃にレオポルト大公の許へ向かう。ここでベネデックは参謀長と協議した後、提案された進軍を却下してラミンクに西進し、スカリッツを離れるよう命じる。 その理由は、以降の作戦に向かう時間の浪費であった。さらに、アウパ川(英語版)の渡河に利用できる唯一の橋を通り、各部隊を充分迅速に配置へ就けるのも困難だったのである。オーストリア軍がスカリッツからヴィソコフの間にある、幅6キロほどの低地を通って攻撃をしかけたとしても、成功の見込みはなかった。またベネデック大将は、前日の激戦を経たシュタインメッツ大将が攻撃してくることはないと推測した。そのため彼は、この地で戦うことを望まず第8軍団に撤退を命じる。午後2時までに重大な戦闘が生起しなければ、レオポルト大公もスカリッツから撤収してイチーン(Jicin)方面へ向かうこととされた。居合わせた士官が、その前に戦闘が発生した場合はどうするべきか問うと、ベネデックは大将は「貴官が口を挟むことがあるのか?(Was haben Sie d´rein zu reden?)」と応じている。一方、プロイセン軍の歩兵は午前6時にはヴィソコフの道の両側に展開し、10時頃から双方の砲兵が射撃を応酬していた。 正午の頃、プロイセン軍第9師団(英語版)の先鋒が前進し砲撃が激化してもなお、ベネデック大将はシュタインメッツ大将が虚勢を張っているものと見て、レオポルト大公をヨーゼフシュタットへ昼食に招きさえしたが、大公は断っている。
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