オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況とは? わかりやすく解説

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オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/16 00:34 UTC 版)

スカリッツの戦い」の記事における「オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況」の解説

オーストリア側の司令官ベネデック(英語版大将指揮下の北軍(Nordarmee)とともに西進しザクセンから進軍するプロイセン軍を、王太子軍と合流を果たす前に撃破する計画立てた。この目標達成するため、オーストリア大公レオポルト英語版中将率い第8軍団が、プロイセン軍の進撃阻止する手はずであったこのため1866年6月28日午前10時30分頃、ベネデック大将参謀長のギデオン・フォン・クリスマニク(ドイツ語版少将伴い、スカリッツ(英語版)に到着する。 ラミンク中将はベネデック大将との協議で、自身指揮下にある投入可能な部隊をもって第8軍団を強化し北上するタスィロー・フェステティクス・デ・トルナ(ドイツ語版中将第2軍団とともにこの地でプロイセン軍撃破するよう進言した。地形防御に有利であり、オーストリア軍砲兵はヴィソコフ高地までの低地をほぼ全域わたって射程収めていたからである。ベネデック大将当初はこの計画賛意示していたが、11時頃にレオポルト大公の許へ向かう。ここでベネデックは参謀長協議した後、提案され進軍却下してラミンクに西進し、スカリッツを離れるよう命じる。 その理由は、以降作戦に向かう時間浪費であった。さらに、アウパ川(英語版)の渡河利用できる唯一の通り各部隊充分迅速に配置就けるのも困難だったのであるオーストリア軍がスカリッツからヴィソコフの間にある、幅6キロほどの低地通って攻撃しかけたとしても、成功見込みはなかった。またベネデック大将は、前日激戦経たシュタインメッツ大将攻撃してくることはないと推測した。そのため彼は、この地で戦うことを望まず第8軍団に撤退命じる。午後2時までに重大な戦闘生起しなければレオポルト大公もスカリッツから撤収してイチーン(Jicin)方面へ向かうこととされた。居合わせた士官が、その前に戦闘発生した場合どうするべきか問うと、ベネデックは大将は「貴官口を挟むことがあるのか?(Was haben Sierein zu reden?)」と応じている。一方プロイセン軍歩兵午前6時にはヴィソコフの道の両側展開し10時頃から双方砲兵射撃応酬していた。 正午の頃、プロイセン軍第9師団英語版)の先鋒前進し砲撃激化してもなお、ベネデック大将シュタインメッツ大将虚勢を張っているものと見てレオポルト大公ヨーゼフシュタット昼食招きさえしたが、大公断っている。

※この「オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況」の解説は、「スカリッツの戦い」の解説の一部です。
「オーストリア=ハンガリー帝国軍の状況」を含む「スカリッツの戦い」の記事については、「スカリッツの戦い」の概要を参照ください。

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