生産と実戦
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既存のトラクターに多少手を加えたに過ぎないため、生産は容易であり、68輌が生産された。 とはいえ、その分構造的に相当無理をしている感じは否めない。速度は7km/hしか出ず、元々戦闘用ではない車体に装甲や兵器を搭載して無理矢理動かしており、稼動の度に酷い騒音が生じた。 搭載兵器はDT機銃の他、1-K 37mm対戦車砲、19-K 45mm対戦車砲などまちまちであった。 しかし実戦に投入されると、いざ侵攻してきたルーマニア陸軍は本車の存在に驚き、一部の部隊を後退させることに成功した。元より本車は生産後も戦闘よりも敵軍に重戦車のように見せての威嚇、擬装が主目的であったため、限定的には目的を達成したと言える。装甲はトラクターの馬力を辛うじて妨げないレベルのものであったが、小火器程度であれば耐えることが出来た。さらに包囲戦での主敵たるルーマニア軍には対戦車火器が不足しており、本車の存在は十二分に脅威となった。そのため、ルーマニア軍は数少ない戦車部隊をオデッサ包囲戦に投入することとなり徒に戦車部隊の損耗を拡大させてしまう結果となった。
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生産と実戦
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「セモヴェンテ da 90/53」の記事における「生産と実戦」の解説
生産はフィアット・アンサルド社で行われ、1943年9月の休戦までに48両(資料によっては30両)が完成したとされる。 東部戦線での状況を受けて開発されたセモヴェンテ 90/53だが、実際は東部戦線に送られず、シチリア島の戦い及びイタリア戦線で使用された。本車はその長射程と高い破壊力を生かして有効な防御戦力として各地で戦闘を繰り広げたが、やはり数が少なかった。イタリア休戦後に生き残った車両の一部はドイツ軍でも使用された。大戦末期の北部イタリアの山岳地帯に於いては長射程の自走砲として運用された。 大戦中にアメリカ軍によって捕獲された車両がアバディーンにあるアメリカ陸軍兵器博物館にて展示されている。 第二次世界大戦を通じ、セモヴェンテ 90/53はイタリアが開発した中で最良の対戦車車両であると評価されている。
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