休戦への動きとは? わかりやすく解説

休戦への動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:33 UTC 版)

ベニート・ムッソリーニ」の記事における「休戦への動き」の解説

刻一刻戦局の悪化続き形勢不利が明らかになったことでイタリア王国内の休戦計画支持広げていった。これまで戦時政権支えてきたファシスト党王党派の間からも反独派・親米英派中心に休戦求め動き広がり元より開戦反対論主流であった軍部でも賛同する将官達が現れ単独講和現実味帯び始めたムッソリーニ敗戦休戦計画といった結末避けられない感じてか、或いは患いつつあった胃の病の影響で若い時程覇気を持たなくなった東部戦線破局バルカン半島集中していた枢軸陣営小国著し恐怖与え、彼らは連合国ソ連との分離講和枢軸国からの離脱試み始めていた。その一国であったブルガリア王国ボグダン・フィロフ首相ローマ訪れイタリアドイツ手を切ってソ連分離講和すべきだとムッソリーニ勧めている。 1943年4月7日、クレスハイムで開かれた伊首脳会談ヒトラー対しソヴィエト連邦講和してイギリスアメリカとの戦い集中する様に働きかけたが、同意得られなかった。ムッソリーニ当初から対英戦を棚上げした二正面作戦最大過ちであり、(第一次世界大戦ドイツ帝国様に外交的に東部戦線決着付けて一つ戦線集中すべきだ思っていた。しかしスラブ人覆滅こそ最終目標考えているヒトラーソ連との講和拒絶し続けたソヴィエトへの勝利妄執するヒトラー説得するのは誰であっても不可能だった同年7月10日勢い付いた連合軍地中海経由してイタリア本土南端であるシチリア島侵攻すると(ハスキー作戦)、もはやファシスト政権敗戦免れない情勢となった元より乏し軍備使い果たしていたイタリア陸軍連合軍の上陸にためす術もなく、アルフレド・グッツォーニ(英語版指揮下の伊第6軍兵員23名)は米第7軍・英第8軍兵員467000名)に敗北し、独第15装甲師団ヘルマン・ゲーリング空軍装甲師団支援受けてメッシーナ海峡撤退した同時期に首都ローマへ大規模な空襲ローマ大空襲イタリア語版))も行われ敗戦前に政府や軍の休戦派は連合軍との秘密交渉開始していた。そうした中でフェルトレにおいて急遽行われた13度目の独伊首脳会談ではヒトラーイタリアの政府国軍に対して初め激烈な怒り見せたイタリア対すヒトラー批判においてムッソリーニ個人は常に擁護されていたが、それでも戦局対す激し口調は礼を失した姿勢であった。しかもヒトラー意見具体性欠いており、議論というよりも演説であった実際ムッソリーニ継戦意欲鼓舞することを意図していたと思われるが、ムッソリーニからすれば疲労感覚えるだけであったムッソリーニヒトラーとの信頼関係崩れた見て会談途中でジュゼッペ・カステラーノ(英語版参謀次長連合軍との単独講和案を密かに話し、この場で独伊同盟解消宣言すべきだと提案したカステラーノら軍の休戦派はローマ周辺新設の3個機械化師団展開しており、連合軍北進呼応する準備整えていたが、ムッソリーニ単独講和案を却下した会談後半冷静さ取り戻したヒトラーも独伊友好再確認し、ムッソリーニ今後戦争協力について話し合いイタリア本土での枢軸軍による共同戦線構築についての計画練ったイタリア陸軍戦車不足を補うべくドイツ国防軍使用している三号戦車四号戦車の提供も取り決められドイツ式装甲師団である第1義勇装甲師団『M(ムッソリーニ)』(イタリア語版)が編成された。当初、この装甲師団国防義勇軍通じて党の指揮下に置かれていたが、統合参謀本部の強い反対陸軍指揮下に移管されている。 軍部中心とした休戦派にとってムッソリーニ継戦意思が明らかとなったフェルトレ会談は現政権での休戦断念し講和前提条件としてのクーデター踏み切る直接的動機となっていたのである

※この「休戦への動き」の解説は、「ベニート・ムッソリーニ」の解説の一部です。
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