休戦の公表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 17:52 UTC 版)
「バドリオ声明」も参照 休戦の発表日と、空挺師団の派遣は9月8日と合意されていたが、9月7日の午後9時30分になってカルボーニ将軍が停戦の延期と空挺師団派遣の中止を申し入れ、その旨を記したバドリオの電文を示した。連合軍側は停戦延期は不可能であると反論し、バドリオ政府側に停戦発表を予定通り行う旨を通告した。これをうけてバドリオ政府は閣議を行ったが、結論が出ないうちに午後6時30分を迎え、イタリアの降伏受け入れと停戦受諾を伝えるドワイト・D・アイゼンハワー将軍の放送が行われた。さらに6時40分にはバドリオ声明案の英文を放送させ、イタリアの降伏受け入れは事実となって全世界に知られることとなった。 放送を受けてバドリオは、降伏を国王が知らなかったこととして処理するか、受け入れるかについて国王に裁可を迫った。国王は停戦受け入れを決定し、バドリオは午後7時45分に休戦声明の放送を行った。まもなくヒトラーはアシェ作戦の発動を命令してドイツ軍を配備する事を決定して、素早く北イタリア地域にドイツの軍隊を展開した。国王と王族はその日のうちに国防省に移り、9月9日に政府はローマからの避難を決め、国王らとともにローマを脱出した。 大部分のイタリア陸軍は講和に関して何も知らされておらず、何の対応もできなかった。イタリア軍の大半はドイツ軍にたやすく武装解除され、イタリア半島の大部分はドイツ軍の手に落ちた。連合軍側のカナダ軍が9月3日にカラブリアの最南端に上陸を行い、9月9日にはサレルノ(アヴァランチ作戦)とターラント(スラップスティック作戦)に上陸を行い、イタリア本土での本格的な戦闘が始まった。 またイタリア王国の支配下にあったバルカン半島のアルバニア王国(英語版)、モンテネグロ王国(英語版)、マケドニア公国、さらにイタリア軍が進駐していたフランス南部の一部も即座にドイツに占領された。
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