ナタール植民地
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- ナタール植民地
- Colony of Natal
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←1843年 - 1910年 →
(国旗) (国章) -
国歌: God Save the Queen
女王陛下万歳
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言語 英語
オランダ語
アフリカーンス語
ズールー語
コサ語
グジャラート語
ヒンディー語
ウルドゥー語
ボージュプリー語
アワディー語
タミル語
テルグ語
中国語
その他言語宗教 聖公会
オランダ改革派教会
ヒンドゥー教
長老派教会
カトリック教会
イスラム教首都 ピーターマリッツバーグ 現在 南アフリカ共和国
ナタール植民地(ナタールしょくみんち、英語: Colony of Natal)は、イギリスの植民地である。
解説
イギリスがナタール共和国を併合し、1843年5月4日にイギリスの植民地と宣言され、1910年5月31日に他の植民地と合併し南アフリカ連邦を形成し、ナタール州としてその一部となった。現在は南アフリカ共和国の州、クワズール・ナタール州となっている。
イギリスの総督がこの地域に任命され、多くの入植者がヨーロッパとケープ植民地から移住した。農場の所有者は、プランテーションで働くズールー人労働者を集めるのに苦労した為、イギリスはインドからインド人を集めた。その結果、ダーバンはインド国外でインド人が最も集中する都市となった(インド系南アフリカ人)。
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