ナタール植民地とは? わかりやすく解説

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ナタール植民地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/10 11:14 UTC 版)

ナタール植民地
Colony of Natal

1843年 - 1910年
国旗 国章
国歌: God Save the Queen(英語)
女王陛下万歳
言語 英語
オランダ語
アフリカーンス語
ズールー語
コサ語
グジャラート語
ヒンディー語
ウルドゥー語
ボージュプリー語
アワディー語
タミル語
テルグ語
中国語
その他言語
宗教 聖公会
オランダ改革派教会
ヒンドゥー教
長老派教会
カトリック教会
イスラム教
首都 ピーターマリッツバーグ
君主
1843年 - 1901年 ヴィクトリア
1901年 - 1910年 エドワード7世
面積
1904年 91,610km²
人口
1904年 1,108,754人
変遷
設立 1843年5月4日
ズールーランドを併合 1897年
南アフリカ連邦成立 1910年5月31日
現在 南アフリカ共和国

ナタール植民地(ナタールしょくみんち、英語: Colony of Natal)は、イギリスの植民地である。

解説

イギリスがナタール共和国を併合し、1843年5月4日にイギリスの植民地と宣言され、1910年5月31日に他の植民地と合併し南アフリカ連邦を形成し、ナタール州としてその一部となった。現在は南アフリカ共和国クワズール・ナタール州となっている。

イギリスの総督がこの地域に任命され、多くの入植者がヨーロッパとケープ植民地から移住した。農場の所有者は、プランテーションで働くズールー人労働者を集めるのに苦労した為、イギリスはインドからインド人を集めた。その結果、ダーバンはインド国外でインド人が最も集中する都市となった(インド系南アフリカ人)。




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