バージニア権利章典とバージニア信教自由法
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「アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「バージニア権利章典とバージニア信教自由法」の解説
独立戦争前のバージニア植民地ではイングランド国教会(アングリカン派、聖公会)が公定教会だった。バージニア住民は国教会への礼拝が義務付けられ、十分の一教区税によって教会は維持される一方で、長老派(Presbyterians)、バプティスト、メノ派などの不服従派(dissenters)は厳しく規制されていた。理神論の影響を受けたトーマス・ジェファーソンやマディソンらは公立教会制度の廃止を求めていた。 1776年7月4日にジェファーソンが主に起草した独立宣言が出された。独立宣言の1か月前の6月12日にバージニア会議で、メーソンが起草しマディソンが修正したバージニア権利章典が採択され、第16条で自由な信仰の権利が定められた。 all men are equally entitled to the free exercise of religion, according to the dictates of conscience; and that it is the mutual duty of all to practise Christian forbearance, love, and charity toward each other.すべての人々は良心の命令にしたがって自由に宗教を信仰する平等の権利を持つ。これはキリスト教的寛容、愛、慈善を施す全員相互の義務である。 — Virginia Declaration of Rights,Section 16,1776. その後、1784年に公定教会擁護派とパトリック・ヘンリーが「キリスト教支持のための一般課税法」法案を提出したが、マディソンが政府の宗教干渉は権限乱用と反対し、成立は阻止された。 ジェファーソンが1779年に起草した第82法案 The Bill for Establishing Religious Freedom 信教の自由を樹立するための法(バージニア信教自由法)が1785年にマディソンによって提出された。第82法案原案では、政府による個人の思想への権力行使や規制は危険であり、信教の自由を破壊するとされた。1786年1月19日、バージニア邦議会で可決した。 No man shall be compelled to frequent or support any religious worship, place, or ministry whatsoever, nor shall be enforced, restrained, molested, or burthened in his body or goods, nor shall otherwise suffer on account of his religious opinions or belief, but that all men shall be free to profess, and by argument to maintain, their opinions in matters of Religion宗教的な礼拝や場所への集合、または、いかなる聖職者への支持も強要されることはない。宗教上の見解や信仰を理由に、強制され、制限され、妨害され、身体や財産を傷つけられたり、その他の方法で苦しめられるべきではない。すべての人には、宗教的事柄への見解を公言したり、話し合いによって支持する自由がある。 — Virginia Statute for Religious Freedom(宗教的自由のためのバージニア法令),1786,drafted by Thomas Jefferson. バージニア信教自由法は、アメリカで初めて信教の自由と政教分離を明文化した法律で、アメリカ憲法の基礎となった。
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