バージニア総督
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「エドマンド・アンドロス」の記事における「バージニア総督」の解説
アンドロスがイングランドに戻ると宮廷で歓迎された。特に国王ウィリアム3世はアンドロスがオランダで国王の宮廷を訪問したことを覚えており、アンドロスの貢献を認める意を表明した。アンドロスは働き口を探しており、パリに行って追放された前王ジェームズに表面上会見するが、実際にはフランスの軍事計画を取得しようとするスパイの役を提案した。この計画は却下された。アンドロスはイングランドに居る間の1691年7月、エリザベス・クリスプ・クラッパムと再婚した。エリザベスはクリストファー・クラッパムの未亡人であり、クラッパムはその結婚によって、アンドロスの最初の妻との縁戚になっていた。 アンドロスの次の就職機会は、1692年2月、バージニア植民地総督のエッフィンガム卿が辞任した時だった。元自治領副総督のフランシス・ニコルソンがこのときバージニア植民地副総督を務めており、上の位を狙っていたが、国王ウィリアムはアンドロスに総督の地位を与えた。ニコルソンにはメリーランド植民地副総督の地位を与えた。ニコルソンとの関係が他の理由で悪化していたために、このことはアンドロスの任務を難しいものにすることになった。この敵意の正確な理由は不明である。ある同時代人はニコルソンが「アンドロスに対して、以前の待遇について特別立腹したことがあったので特に不満を抱いた」と記していた。 アンドロスは1692年9月13日にバージニアに到着し、その1週間後には任務に就いた。ニコルソンは愛想よくアンドロスを受け入れ、それから間もなくイングランドに行った。アンドロスはミドル・プランテーション(後のウィリアムズバーグ)に入り、1695年までそこで過ごした。ベイコンの反乱以来その維持が問題になっていた植民地の記録を整理し、奴隷の反乱を防ぐために考案された法の執行を進めた。 当時ほとんど全てタバコに依存していたバージニア経済の多様化を奨励した。当時は九年戦争(1688年-1697年)が進行しており、商船は護衛付きで動く必要があったために、輸出志向の経済は悪い影響を受けていた。バージニアが軍事的に防衛されなかった数年間では、そこの生産品がヨーロッパの市場に運ばれ中他t。アンドロスは綿花やアマなど新しい農作物の導入を奨励し、繊維の製造も勧めた。 バージニアはアンドロスが初めて土地の議会と協力しなければならなかった植民地の役職だった。バージニア議会との関係は概して協調的だったが、特に戦争や植民地の防衛に関する手段については幾らか抵抗があった。植民地の海域をパトロールさせる武装艦船を雇用したが、これはニューヨークの植民地防衛に財政的に貢献することとなり、フランスやインディアンがバージニアに侵入してくる可能性に対する防波堤を構築した。1696年、アンドロスは国王から軍隊をニューヨークに派遣するよう命じられ、それに対して植民地議会は渋々ながら1,000ポンドを割り当てた。アンドロスの植民地防衛とインディアンとの関係はうまくいった。バージニアはニューヨークやニューイングランドとは異なり、戦争中に攻撃されることは無かった。 アンドロスは在任中に著名な聖公会牧師であるジェイムズ・ブレアと敵になった。ブレアは聖公会の牧師を教育するための新しい大学設立のために動いており、アンドロスはそのアイデアを支持しないと考えていた。しかし、ブレアとニコルソンはこのアイデアを共に作り上げ、ニコルソンがメリーランドからしばしば訪れてこの件の協議をしていた。この二人はアンドロスを嫌っていることでも協力し、その行動がアンドロスを辞任に追い込むことになった。ウィリアム・アンド・メアリー大学は1693年に設立された。アンドロスが支持していないというブレアの主張があったにも拘わらず、アンドロスは大学の礼拝堂を建設するためのレンガ代を自身の基金から寄付し、植民地議会には毎年100ポンドの予算を割り当てさせるよう説得した。 ブレアの不平は、その多くが曖昧で不正確なものであったものの、ロンドンに連絡され、1697年には貿易省とイングランド国教会の宗教裁判所でアンドロスの行動に関する審問が始まった。ロンドンでホイッグ党が権力を握ったときにアンドロスは貿易省の支持の大半を失い、その弁護も貿易省を自分の味方に引き寄せることはできなかった。聖公会の司祭はブレアとニコルソンを頑として支持した。1698年3月、アンドロスは疲労と病気を訴え、イングランドへの召喚を求めた。
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