自治領副総督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:59 UTC 版)
「フランシス・ニコルソン」の記事における「自治領副総督」の解説
1688年、ロンドンの貿易省がニューイングランド自治領の中にニューヨーク、東ジャージー、西ジャージーの各植民地を含めるよう拡大した。ニコルソンは自治領の副総督に指名され、アンドロスと共にそれら植民地の支配を引き継ぐためにニューヨークに行った。ニコルソンの支配は、土地の評議会に支援されるが議会は無いものであり、多くのニューヨーク人から「我々古代の特権を蝕んだ最も専制的な方法を採用した」王命による総督の路線を引き継ぐものと見られた。ニコルソンは、植民地人が「征服された民であり、それ故にイングランド人のように多くの権利や特権を主張できない」と言って、その支配を正当化した。 ニコルソンは当初、先代総督だったカトリックのトマス・ドンガンに代わる改善されるものと見られた。しかし、植民地の古い守人は、アンドロスが植民地の記録全てをボストンに移し、続いてニコルソンがドンガンやニューヨークの一握りのカトリック教徒が礼拝に使っていたジェームズ砦の礼拝堂の装飾を保存することで、時として強硬派になるプロテスタント住民に警告を与えたことに不満だった。オランダがイングランドを侵略するという噂(この噂は真実になった)に反応してニコルソンは、1689年1月、植民民兵隊に国王のために植民地を守る警戒に入るよう命じた。ニコルソンは知らなかったことだが、イングランドの情勢は既に変化していた。
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