ニューイングランド自治領
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「エドマンド・アンドロス」の記事における「ニューイングランド自治領」の解説
1686年、アンドロスはニューイングランド自治領総督に指名された。1686年12月20日にボストンに到着し、即座に統治権を執った。その任務は自身と評議会による統治を要求していた。当初の評議会の構成は、吸収された植民地それぞれからの代表であったが、旅行の不便さや旅行費用が賠償されないという事情のために、実際の評議員はマサチューセッツとプリマスの代表で占められていた。ロンドンの貿易省は議会無しで統治することを主張したが、アンドロスがその任務について文書が作成される間に心配を表明していたことだった。歴史家のヘンリー・ファーガソンがその小品『エドマンド・アンドロス卿」の中で証言していたのは、議会に拠る政策の考慮は効率的でないことが分かったというものだった。 自治領は当初マサチューセッツ湾植民地(今日のメイン州を含む)、プリマス植民地、ロードアイランド植民地、コネチカット植民地、ニューハンプシャー植民地、で構成され、1688年にはニューヨークや東西ジャージーまで広がっていた。アンドロスの妻はボストンで合流したが、その到着から間もない1688年に死んだ。
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