ニューイングランドの支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/02 09:46 UTC 版)
「コネチカット州の歴史」の記事における「ニューイングランドの支配」の解説
1686年、エドマンド・アンドロス卿がニューイングランド自治領の総督になった。アンドロスはその任務が1662年の勅許に優先されるものと主張した。まずコネチカットがこれを無視した。しかし、1687年10月遅くアンドロスは陸軍と海軍の支援を得てコネチカットに到着した。コネチカットの知事ロバート・トリートは選択の余地が無いように思ったが議会を招集した。アンドロスは知事に会い、10月31日夕には議会に出席した。 アンドロスは議会の勤勉さとその政治を誉めたが、そこで彼に与えられた命令書を読み上げ、コネチカットの勅許を取り上げるとした。議員たちは勅許状をテーブルの上に置くと一斉にローソクを吹き消した。灯りが戻ったとき勅許状は無くなっていた。この伝説によれば、勅許状は「勅許のオーク」に隠されたと言われている。アンドロスはニューイングランドの新しい議会の委員会に4名の委員を指名し、その首都をボストンに定めた。 アンドロスはニューヨークとマサチューセッツを自治領の重要な地域と見ていたので、コネチカットはほとんど無視していた。コネチカットも要求された税金をボストンに送ること以外、ほとんど新しい政府を無視していた。名誉革命が起こりウィリアム3世とメアリー2世が王位に就いたという報せが来ると、ボストン市民はアンドロスを追放した。コネチカット議会が招集され、1689年5月9日に投票を行って勅許を再確認した。その後ロバート・トリートを知事に再選し、その任期は毎年更新されながら1698年まで続いた。
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