ニューイングランドの準備とは? わかりやすく解説

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ニューイングランドの準備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 20:43 UTC 版)

ルイブールの戦い (1745年)」の記事における「ニューイングランドの準備」の解説

フランスニューイングランドへの侵攻恐れたマサチューセッツ総督ウィリアム・シャーリーは、アナポリスロイヤルを守るべく、1744年の夏、アナポリスロイヤル駐屯隊に200人部隊の援軍送った。この知らせ受けたヌーベルフランスは、アナポリスロイヤル攻撃に出るも失敗したが、イギリス艦を拿捕しルイブールに連れ帰った。これに対抗してシャーリーは、ルイブールへの攻撃の準備整えたフランス軍私掠船による脅威退けるためであったシャーリーは、カンゾ襲撃の際、フランス捕囚されたイギリス兵が綴ったルイブール脆弱さ強調し遠征への支援募った結果、他の植民地から援軍軍艦大砲提供され資金調達された。カンゾ襲撃中に捕虜となった者たちは、まずルイブールに連れて行かれ、そこでの自由行動許可された。イギリス軍兵士何人かが、砦の形や配置どのような状態にあるかを、駐屯隊の装備大きさ共々細かくメモ取っていたのだった何年もの間、ルイブールひそかに取引をしていて、その頑健さを知るニューイングランド住民懸念はあったものの、ニューイングランド政界経済界関心高く多く略奪品への期待もあり、1745年2月5日マサチューセッツ下院は、他のイギリス系植民地と共にルイブールへの再度軍事遠征承認したルイブールでは、軍も一般人も、恵まれた状況にあるとは言えなかった。1744年支給物資少なく漁師十分な物資がないため、不承不承ながら漁に出ていた。軍の兵士たちは、カンゾでの自分たちの骨折り結果である、戦利品一部をもらえる約束だったのに、士官がそれを売り払って利益得ていると主張していた。この年12月フランス軍部隊は、劣悪な環境給料未払いから暴動起こした総督のデュシャンボンが、兵士たちの不満を沈めるために給料払い戦利品取り戻しても、この年の冬のルイブールは、かなりの緊張状態にあった。軍の上層部が、兵士たちに対して強い態度取れないのが原因だった。デュシャンボンでさえも、いやいやながら救いの手差し伸べただけで、このことが外に漏れて危険な状態となることを恐れていた。しかし、この危険な状態が、まさにボストン起こりつつあったのである

※この「ニューイングランドの準備」の解説は、「ルイブールの戦い (1745年)」の解説の一部です。
「ニューイングランドの準備」を含む「ルイブールの戦い (1745年)」の記事については、「ルイブールの戦い (1745年)」の概要を参照ください。

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