ニューイングランドからの退去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 07:26 UTC 版)
「サミュエル・シュート」の記事における「ニューイングランドからの退去」の解説
クックや「本郷党」の者達の指導力の下で、議会は植民地の予算使途を調査した。民兵隊に支払われた給与の中に欺瞞があることを発見した議会は、公的資金が如何に遣われるかを、大変正確に示す歳出法案を提案することができた。このことは議会の権限を増し、総督の権限を減らすことを意味していた。議会はさらに1722年12月には民兵隊の行動を監督する委員会を設立することで、総督の権限に踏み込んだ。インディアンとの戦争が続く中で、シュートはこのことを自分の権限に対する深刻な脅威だと考え、この状況を正すにはロンドンに戻るのが唯一の方法だと判断した。1722年のクリスマスが過ぎてから間もなく、シュートは船でイングランドに向かった。
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