ニューイングランド自治領 1686年-1692年
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「マサチューセッツ州の歴史」の記事における「ニューイングランド自治領 1686年-1692年」の解説
1685年、遠慮のないカトリック教徒ジェームズ2世が王位に就き、ニューイングランドのプロテスタント支配を含め、プロテスタント支配に影響を及ぼし始めた。1686年5月、マサチューセッツ湾植民地はその勅許が破棄され終息することになった。国王はジョセフ・ダドリーをニューイングランドの新しい職位である長官に指名した。ダドリーは後にニューハンプシャーとキングズプロビンス(現在のロードアイランド州の一部)でその権威を確立し、地位を維持したが、エドマンド・アンドロスが到着してニューイングランド自治領の総督になって交代した。 ウィリアム3世とメアリ2世によってジェームズ2世が王位を逐われた後、植民地はアンドロスとその部下を追放した。アンドロスの地位にはサイモン・ブラッドストリートが継いで1692年まで続けた。この期間の1690年、植民地はウィリアム・フィップスの指揮でケベックに対する遠征軍を起こし結果は失敗した。この遠征はケベック市を奪った時に得られる利益を当てにした債権を発行して賄われた。ブラッドストリートは1691年にマサチューセッツ湾植民地とプリマス植民地を統合し、その後フィップスが新しい植民地勅許によって総督に指名された。フィップスは植民地をあるがままに統治した。セイラム魔女裁判の時も、彼の妻が告発された時のみ介入した。
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