経済の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 04:39 UTC 版)
「スコットランドの歴史」の記事における「経済の近代化」の解説
18世紀も後半になってから、合同の経済効果がようやく現れてきた。航海法体制の内側に組み込まれたことにより、アメリカ大陸との交易が活発になった。そこから製造業がひろがり、畜産物・穀物・綿織物から19世紀にいたって鉄鋼業・石炭業も活発になった。スコットランドの都市化・人口増が急速に進んだ。 スコットランドの都市化都市名 1750年 1821年 グラスゴー 31,700 147,000 ペイズリー 6,800 47,000 キルマーノック 4,400 12,700 フォルカーク 3,900 11,500 スコットランドの人口の推移(単位:万人) この経済成長と人口増は、いくつかの原因が指摘されている。 大学・図書館が整備されたこと。当時の大学は担任制(註)が主流だったが、セント・アンドルーズ大学などは世界に先んじて教授制を取り入れた。大学は活性化され、産学提携が進んだ。またスコットランドは実学傾向が強く、産業に直結する学問が活発に研究された。 ハイランド・クリアランス(英語版)とよばれる囲い込みが大規模に行われ、仕事を失った借地農が都市に大量に流入して都市化をもたらし、都市に豊富な労働力をもたらしたこと。 イングランドに比べて、物価・人件費が圧倒的に安かったこと。 おもにアイルランドからの移民が大量に流入してきたこと。 註:担任制…教官がそれぞれ担当学生をもち、すべての教科を教える方式。現代日本の小学校にみられる。教授制…講座ごとに担当教官がつく授業方式。中学校以上で実施されている。
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