有権者の動員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 16:44 UTC 版)
「19世紀アメリカ合衆国の選挙運動」の記事における「有権者の動員」の解説
基本的な選挙戦略は可能性がある有権者を最大限動員することだった。政治家は新しい支持者を見出すために、その地域社会を体系的に遊説し、当時の州および国家的問題を論じ、どのテーマが最も良い反応を引き出せるかを監視した。かように大きく、複雑で、多元的な国家において、市民は自身の民族と宗教の集団に特に忠実であることを、政治家達は発見した。さらにこれらの集団ははっきりとした道徳観念と政治的ニーズを共有していた。ホイッグ党と共和党は特に敬虔な福音主義会派の中に支持者を獲得することに効果を発揮した。レコンストラクション時代(1866年-1876年)、共和党は南部においてアフリカ系アメリカ人の支持を集め、さらにスキャラワグ(アメリカ連合国から共和党に鞍替えした白人)で補強されて強い地盤を築いた。一方民主党はカトリック教徒など高教会派の集団から支持を集め、また小さな政府を望む者や、アフリカ系アメリカ人に政治や社会の平等を認めないよう要求した白人からも支持を得た。経済の近代化や西方拡張のような問題に関して政党の立場がはっきりしてくるようになると、有権者はどちらかに惹き付けられるようになった。ホイッグ党と共和党は経済の近代化、銀行制度、鉄道、工場および関税を積極的に支持し、農産物には都会における豊かな市場を約束した。ホイッグ党は西方拡張に反対し、共和党も1898年までは同様だった。一方民主党は自作農の農本主義や西方拡張を語り、如何にジェファーソンの価値観で田園生活が潤うかを語った。 両党は選挙後援会を設定した。共和党下部のワイド・アウェイクスでは、若者が特別なユニフォームを着て、色とりどりの旗をもち、松明行進を行った。19世紀後半の中西部では全州で登録有権者の90%以上が投票するという状態になり、イリノイ州、インディアナ州、アイオワ州、ミシガン州およびオハイオ州では95%にもなった。投票率が100%以上になる郡もあったが、これは不正ではなく、党が国勢調査に洩れていた者まで引き出したからだった。大都市の自治体レベルの選挙では実際に不正も起こった。そこでは下っ端政治家が具体的報酬を期待できたからだった。南部でレコンストラクションが進行していることとは関係無しに、地方労働者は大統領からの報酬とは無縁だったために、大統領選挙ではほとんど不正が無かった。熱狂的な支持を得る最善の方法は熱狂だった。各党は党派意識を示し、大きな力があれば勝利は間違いないという主題を促進するために、集会、パレード、旗、ボタン、記章を用いた。敗れた側は驚愕するのが通常であり、悪天候や裏切りなど敗因を超自然的な要因に帰させる傾向があった。
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