レコンストラクション時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 05:54 UTC 版)
「トマス・E・ブラムレット」の記事における「レコンストラクション時代」の解説
ブラムレットはリンカーン政権のやり方に同意できなかったにも拘わらず、リンカーン暗殺の報せを受けたときには、服喪と祈りの日を宣言した。州議会は新大統領のアンドリュー・ジョンソンに、州内の戒厳令を止めるよう請願した。しかし州政府と連邦政府の間の緊張関係は残った。ブラムレットは、21歳以上の白人男性市民で、2年間以上州内に住んだ者は全て、選挙権を持つと宣言した。民主党員知事の行動に刺激されて、ケンタッキー州では上下両院と州選出アメリカ合衆国下院議員9人の内の5人を民主党が支配することになった。ジョンソン大統領はケンタッキー州の請願を受け取り、州内で戒厳令を止め、「人身保護令状」発給を再開させた。 1865年12月に州議会が招集されたとき、ブラムレットは元アメリカ連合国支持者の大半に恩赦令を発行することで、州内の調和を回復させようとした。ブラムレットと議会の多数はアメリカ合衆国憲法修正第14条と同第15条の批准に反対し、州内で解放奴隷局を設立することにもブラムレットが抗議した。 ブラムレットは南北戦争に関係のないことでの業績を誇っていた。例えば州の負債を減らし、ケンタッキー州農業機械カレッジ(現ケンタッキー大学)を設立したことがあった。政府債券で手当てした有料道路建設、天然資源の開発を支持し、レコンストラクションを支持するための適切な労働力を得るために移民を奨励した。
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