レコンストラクションとジム・クロウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/14 01:22 UTC 版)
「ジョージア共和党 (アメリカ合衆国)」の記事における「レコンストラクションとジム・クロウ」の解説
アメリカ南北戦争の後、ジョージア州はまず軍政府の支配下に置かれた。その後1868年、共和党が議会を掌握し、加えて同党のルーファス・ブロックが知事に選出された。共和党支持者の多くは州の人口の44%を占めるアフリカ系アメリカ人であり、さらに北部の山岳地帯に住む白人層からも支持を受けた。ブロックはジョージア州において共和党から選出された初の知事であった。だが彼は弾劾の脅威を受けたことから、1871年に州から脱出した。知事権限は上院議長ベンジャミン・コンリーに引き継がれた。(現代では副知事が設置されており、知事が任務不能となった場合には副知事がその任務を代行することになっている。しかしながら当時はまだ副知事の役職は創設されていなかった。)共和党から2人目の知事となったコンリーの在任期間は、わずか72日であった。議会は迅速な特別選挙を実施し、コンリーの後任には民主党のジェイムズ・ミルトン・スミスが就き、ジョージア州のレコンストラクション時代は終わりを迎えた。 1882年以降、共和党はジョージアにおいて知事その他の候補を擁立することはなく、民主党による一党支配が固定化した。20世紀にはいると、共和党は州内の白人層から「黒人の党」という評価を受けるようになり、買収を受けた白人との間で内紛を起こすようになった。投票登録のできる黒人層は共和党を支持する傾向があり、ジム・クロウの時代において共和党はジョージア州議会で常に少数派であった。1907年にマッキントシュ郡のW・H・ロジャーズが辞任して以降、アフリカ系アメリカ人の被選挙権は完全に剥奪された状態となった。黒人の有権者は白人の議員のみを選ぶことができた。
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