レコンストラクションと南部の地域政党化
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「レコンストラクションと南部の地域政党化」の解説
南北戦争が終結し、レコンストラクション(再建)の時代に入ると、旧連合国諸州の合衆国復帰や、奴隷制廃止後の諸問題の解決をめぐり、共和党内部にリンカーン等穏健派と急進派の分裂が生じた。共和党急進派は1866年アメリカ合衆国下院選挙(英語版)で議会の3分の2を占める勝利を挙げて、国内問題を処理するための権力を手に入れ、南部を軍事的に占領して黒人に投票権を与える等の急進的政策を実行した。民主党議員は共和党急進派の再建政策に全力で反対したが、無駄であった。南部では急進派共和党と奴隷制維持を目指す保守派が暴力的な衝突を繰り広げ、民主党は急進的な再建政策への不満から共和党に反発する保守的白人(リディーマー、贖う人の意)からの支持を集めた。 一方、この時代は金ぴか時代とも呼ばれ、資本主義が急速に発達したが、その反動で金権政治も蔓延し、汚職事件が多発した。汚職や白人至上主義といった旧来の問題こそが足かせとなっていることを認識した民主党は、「新たな出発(英語版)」を掲げてこれらの問題を持ち出し、南北戦争の際の対応への批判から議論の焦点を外そうと試みた。しかしながら、1868年と1872年の大統領選挙では、戦争の英雄であるユリシーズ・S・グラントが率いる共和党に惨敗した。この頃から、民主党内では東部の企業の権益を重視し、自由放任主義的民主主義を掲げる「ブルボン民主党員(英語版)」が党内の主導権を握るようになっていった。彼らは連邦銀行や鉄道建設を支持し、金本位制を主張して金銀複本位制に反対した。公務員制度改革運動(英語版)を強く支持し、都市の首長の腐敗を非難した。また、アメリカの帝国主義的な対外膨張政策に反対し、後にはハワイ併合に反対した。 政治の腐敗に加え、1873年恐慌の影響を受け、1874年アメリカ合衆国下院選挙(英語版)では民主党が圧勝し、下院の主導権を取り戻した。更に、1876年の大統領選挙では、ブルボン民主党員でニューヨーク州知事のサミュエル・ティルデンを候補に擁立し、汚職にまみれた共和党政権を激しく批判し、善戦した。選挙は史上稀に見る接戦となった上、南部の3州からは共和党派と民主党派の2組の選挙人団が送られるという異常事態になった。特別に選挙委員会(英語版)が置かれて対応が図られた後、民主党は、南部からの連邦軍完全撤退を条件に、これらの州での共和党候補ラザフォード・ヘイズの当選を受け入れ、ヘイズの大統領当選が確定した(1877年妥協)。これにより、民主党は旧連合国諸州を管理下に置き、以後、この地域は「ソリッド・サウス(英語版)」と呼ばれ、事実上、民主党の一党独裁地域として1960年まであり続けた。地域選挙では民主党候補以外は存在しないに等しく、大統領選挙においても、この地域は(1928年を除き)民主党候補が獲得した。1880年から1900年にかけて、南部では黒人の公民権剥奪(英語版)が行われ、有色人種を隔離差別する法が成立した。
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