レコンストラクション:南部と汚職をめぐる攻防
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「レコンストラクション:南部と汚職をめぐる攻防」の解説
南北戦争が終結し、レコンストラクション(再建)の時代に入ると、旧連合国諸州と解放奴隷の扱いが主要な問題となった。共和党急進派は1864年までに議会を掌握し、より積極的な奴隷制廃止政策と、連合国に対するより厳しい報復措置を要求した。リンカーンは彼らを抑えるのがやっとのことだった。1865年4月、リンカーンが暗殺されると、国民統一党の副大統領アンドリュー・ジョンソンが大統領に昇格した。もともと民主党ウォー・デモクラットのジョンソンを、共和党は当初歓迎した。急進派もジョンソンを自分たちの一員と見なし、南部に対して強硬路線を取るものと期待した。しかし、ジョンソンは急進派とは袂を分かち、共和党穏健派や民主党と緩やかな連携を結んだ。対決は1866年の議会選挙に持ち込まれ、急進派が議会の3分の2を占めるという圧勝を得た。急進派は再建政策を思うままにし、ジョンソンの拒否権を無視して主要法案の可決を進めていった。下院ではジョンソンへの弾劾決議まで可決された(上院の信任を得て職にとどまった)。 1868年のユリシーズ・S・グラントの大統領選出により、急進派は議会のみならず、党、そして軍までをも支配下に置いた。急進派はアメリカ軍の直接的な支援を背に南部を占領して黒人に投票権を与え、解放奴隷やスキャラワグ、カーペットバッガーの票を利用して、南部に頑強な基盤を築こうとした。南部の全域にユニオン・リーグが置かれ、ここを拠点に有権者を組織し、必要とあらばクー・クラックス・クラン(KKK)の攻撃とも戦った。この衝突で双方から何千人もの死者が出た。グラントは南部での急進的な再建計画を支持し、解放奴隷の公民権や選挙権を擁護し、修正第14条を支持した。何よりも、グラントは南北戦争の退役軍人たちの英雄であり、多くが彼の言うことに賛同した。 しかし、党勢の急拡大は派閥対立をもたらした。何より、この時代は金ぴか時代とも呼ばれ、資本主義の急速な発達とともに金権政治が蔓延し、汚職事件が多発した。ウイスキー汚職事件に象徴される高官の汚職事件に対してグラントが恩赦を与えたことが、対立を加速させた。共和党の創設者や有力紙の編集者たちの多くは反汚職改革運動に加わり、1872年の大統領選挙では、民主党の指名選挙を勝ち抜いたホレス・グリーリーを大統領候補に指名した。大統領選ではグラントが圧勝で再選されたものの、1873年恐慌が民主党を勢いづけた。民主党は下院を支配し、南部保守層による「リディーマー」連合を形成して、時には脅迫や暴力を使ってまで、南部の地盤を絶対のものにした。 1876年の大統領選挙では、共和党候補のラザフォード・B・ヘイズに対し、汚職を批判する民主党候補のサミュエル・ティルデンが善戦し、接戦に持ち込んだ。特に南部の3州からは共和党派と民主党派の2組の選挙人団が送られるという異常事態になり、事態への対応のために選挙委員会(英語版)が置かれた。結局、ヘイズに勝利を与える代わりに、連邦軍が南部から撤退するという非公式の1877年妥協が合意され、レコンストラクション期は終わりを迎えた。以後、この地域は「ソリッド・サウス(英語版)」と呼ばれ、事実上、民主党の一党独裁地域として1960年まであり続けた。 人種問題に関しては、歴史家サラ・ウルフォークの表現を借りれば、「白人共和党員も民主党員も黒人票を懇望したが、代わりに黒人を公職に指名することには消極的で、避けようがない時にのみであり、そのような場合にも、より良い地位は白人に与えた。結果は予測される通りだった。このような中途半端な態度は黒人も白人共和党員も満足させられなかったのである。アラバマ州をはじめとする南部での共和党の致命的な弱点は、人種間にまたがる政党を作ることが出来ないという点にあった。そして(南部で)わずかの期間とはいえ権力を掌握していた時にさえ、党員を民主党員のテロ行為から守ることすらできなかった。アラバマ州共和党は、言論の面でも行動の面でも、常に守りに徹するばかりであった。」社会的圧力から、スキャラワグのほとんどは、次第に保守的な民主党系リディーマー連合に加わらざるを得なくなった。少数派は抵抗を続け、「黒褐色」共和党の「褐色」部分を構成し、1877年以後、南部各州で少数派として活動を続けた。南部の一部の州では、白人民主党員の取り込みを模索する「純白」共和党員が「黒褐色」派の排斥を進めたり、影響力を減らそうとした。20世紀初頭に活躍した「純白」共和党の指導者として、1916年と1920年にアーカンソー州知事候補として共和党から指名を受け、共和党全国委員会委員としても長年活動したウォーレス・タウンゼントがいる。
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