大統領当選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:23 UTC 版)
大統領就任式に集まったペロニスタ(1946年) ペロンとエバ夫人(1947年) 鉄道国有化法に署名するペロン(1948年) ペロンは1946年に大統領に当選した。大統領就任後は、労働組合の保護や労働者の賃上げ、女性参政権の実現、イギリス系、アメリカ系などの外資系企業の国営化、貿易の国家統制などの政策を推し進め、労働者層から圧倒的な支持を受けるが、一方で独裁政権を敷き反対派は強制収容所に投獄した。この政策から「左翼ファシスト」と一部では評され、「ペロニスタ」(ペロン派・ペロン主義者)と呼ばれる支持者を形成した。 民族主義に基づく民族資本産業の育成、外国資本の排除(アルゼンチン国内の複数のイギリス系私有鉄道を代表とする私・公有鉄道の国有化やアメリカ企業の国有化等)など、ファシズムに共通する点が見受けられるが、ファシズムか否かでは論議が分かれる。また、ポピュリズム的傾向も見られる。なお、第二次世界大戦中に友好国であったドイツが行っていたユダヤ人に対する迫害には、毅然と反対した。 しかしその後、イタリアの極右政党幹部であるリーチオ・ジェッリなどの手を借りて逃亡してきたドイツ軍やナチス親衛隊の戦犯を、連合国により国際指名手配されていたものの多数匿い、アルゼンチンの軍や治安機関の育成に当たらせている。ドイツ戦犯の逃亡を助けた背景には、第二次世界大戦中にドイツからの多額の金銭的、軍事的支援を受けていた上に、ドイツの科学技術や治安組織のノウハウを獲得したかったからだとされる。 当時のアルゼンチンは、第二次世界大戦時におけるアメリカなどへの牛肉、羊肉などの輸出によって富裕国であり、それで得た外貨によってこれらの政策をおこなったが、すぐに使い果たした上に、1949年頃からはアメリカやカナダの増産により食糧輸出は不振となってインフレがおこった。次第にペロンは苦境に追い込まれる。
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