政治家としての活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:22 UTC 版)
1868年(慶応4年)には、商人身分ながら異例の抜擢を受けて紀州藩勘定奉行(のちの出納長に相当)に任命され、後には藩校教授や大参事(のちの副知事に相当)を歴任するなど、藩政改革の中心に立って紀州藩・和歌山県経済の近代化に尽力した。その後、1871年(明治4年)には、大久保利通の要請で初代駅逓頭(えきていのかみ)(のちの郵政大臣に相当)に就任するが、権頭(次官)であった前島密との確執もあって半年足らずで辞職する。 1880年(明治13年)、和歌山県の初代県会議長に就任した。そして、帝国議会開設に備えて、木国同友会を結成した。1885年(明治18年)にかつての夢だった世界旅行に行くも、アメリカ・ニューヨークで病没した。享年66(満64歳没)。 1915年(大正4年)、従五位を追贈された。
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