政治家としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 14:26 UTC 版)
張勉に対する評価は韓国ではいまだに低い。たとえば、クーデター発生時にも一国の指導者にもかかわらず一時期姿を見せず、ソウル市内の女子修道院に身を隠していたことや、国政責任者として反乱軍を鎮圧しなかったことなどが批判されている。ただし、修道院に身を隠していたという件については、いまだに真相は解明されていない。また、反乱軍鎮圧についても、一説ではアメリカによるクーデター軍鎮圧を待っていたという説もある。クーデター軍鎮圧を主張する在韓大使館と内政不介入とするホワイトハウスとの思惑の差がクーデターを成功に導いたとの分析もある。 しかし、李承晩政権下で暗礁に乗り上げていた日韓国交正常化交渉を本格的に再開させたり、韓国独自の経済開発計画のプラン作りに着手したりしたことに対して評価する立場もある。朴正煕政権の初期の経済開発計画は張勉政権下の計画をそのまま転用したものであるとも言われている。
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