軍事責任者としての東條
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:49 UTC 版)
渡部昇一によれば、「政治家としての評価は低い東條も、軍事官僚としては抜群であった」という。「強姦、略奪禁止などの軍規・風紀遵守に厳しく、違反した兵士は容赦なく軍法会議にかけた」という。ただし、場合によっては暴虐ともとれる判断であっても、厳しく処罰していない事例もある。例えば、陽高に突入した兵団は、ゲリラ兵が多く混ざっていると思える集団と対峙して強硬な抵抗に遭い、実際にかなりの死傷者が出た。ところが、日本軍が占領してみると降伏兵は全くいなかった。その際、日本軍は、場内の住民の男性をすべて狩り出し、戦闘に参加したか否かを取り調べもせずに全員縛り上げたうえ処刑してしまった。その数350人ともいわれる。しかし、この事件に対して東條は誰も処分していない。この事件が東京裁判で東條の戦犯容疑として取り上げられなかったのは、「連合国側の証人として出廷し、東條らを追い詰めた田中隆吉が参謀長として参戦していたからだろう」と秦郁彦は推察している。
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