江戸時代の日本の人口統計とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 江戸時代の日本の人口統計の意味・解説 

江戸時代の日本の人口統計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 09:54 UTC 版)

江戸時代の日本の人口統計(えどじだいのにほんのじんこうとうけい)は、江戸時代人口統計、人口調査および推定人口をまとめたものである。その結果は、初期には戦国時代後期から続く顕著な増加が見られ、それに比べ、中期・後期には増加はわずかだった。


  1. ^ a b c d e 本項の享保6年(1721年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は『三暇謾録』記載の数字をまとめた以下の須田昭義の論文による。
    • 須田昭義, 「徳川時代人口に関する新資料」, 人類学雑誌, 63, pp. 146-148 (1954).
    なお享保6年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』を介して須田昭義の論文の人口を採用しているが、須田昭義の論文とは上総・全国の総人口が異なる。
    享保6年(1721年)の人口の相違点
    旧国 須田昭義論文 速水融監修
    総数 総数
    上総 407,553 407,552
    以上合計 26,065,422 26,065,421
    総数 26,065,422 26,065,425
  2. ^ a b c d e 古くより西山元文著『官中秘策』には寛延3年(1750年)の総人口、男女別人口、旧国別人口が記載されていることが知られており、以下のように様々な論文・書籍で寛延3年の総人口、男女別人口、旧国別人口がまとめられている。これらの内、鈴木券太郎論文では出典が示されていないが、延享元年(1744年)と宝暦6年(1756年)の人口との比較による人口増減が記述されていることから、『官中秘策』によるものとみて間違いない。
    • 村田豊, 「大日本古今人員」, 統計集誌, (3), pp. 132-134 (1881).
    • 鈴木券太郎, 「寛延三年御国人口表」, 東京経済雑誌, (125), pp. 1090-1092 (1882).
    • 井上瑞枝, 「大日本国古来人口考 (第三)」, 統計学雑誌,(215), pp. 59-64 (1904).
    • 高橋梵仙, 「第二篇 近世日本の人口」, 『日本人口史之研究 第一』, 日本学術振興会, pp. 87-161 (1971).
    ただし『官中秘策』の写本は何十点と現存しており、一つとして正しい集計がなされているものは存在せず、上記文献でも微妙に数字が異なっている。井上瑞枝の論文では4種類の異なる『官中秘策』の写本により、寛延3年の旧国別男女人口をまとめているが、集計に誤りがある。そこで本項の寛延3年の総人口、男女別人口、旧国別人口は、国立公文書館所蔵『官中秘策摘要』を底本とし、同じく国立公文書館所蔵の写本5点、国立国会図書館所蔵の写本、東京大学史料編纂所所蔵の写本、早稲田大学図書館所蔵の写本、及び上記4報の論文・書籍などと数字を比較・検討することで、伊豆・常陸・美濃・越前・備後・豊後の総人口、伊賀・遠江・駿河・安房・陸奥・但馬・出雲・播磨・備中の男人口、伊賀・安房・近江・越前・越中・石見・豊前の女人口を改訂した。改訂により、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」とは駿河・甲斐・美濃・但馬・備中・紀伊・阿波の総人口、山城・河内・遠江・駿河・甲斐・相模・安房・上総・上野・能登・越中・丹波・但馬・因幡・石見・備中・紀伊・筑前の男人口、尾張・三河・駿河・相模・上総・陸奥・出羽・越後・石見・播磨・安芸・日向の女人口が異なることになる。
    寛延3年(1750年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 官中秘策摘要 速水融監修
    総数 総数 総数
    山城 522,626 276,940 245,686 522,626 276,940 245,686 522,626 276,640 245,686
    河内 231,266 114,951 116,315 231,266 114,951 116,315 231,266 114,651 116,315
    伊賀 91,392 47,149 44,243 91,392 44,149 41,243 91,392 47,149 44,243
    尾張 553,340 279,810 273,530 553,340 279,810 273,530 553,340 279,810 273,350
    三河 419,283 208,406 210,877 419,283 208,406 210,877 419,283 208,406 218,077
    遠江 333,744 166,857 166,887 333,744 186,857 166,887 333,744 186,857 166,887
    駿河 313,817 161,386 152,431 313,817 161,388 152,431 313,819 161,388 151,431
    甲斐 314,193 157,878 156,315 314,193 157,878 156,315 311,193 158,878 156,315
    伊豆 105,120 53,806 51,314 105,020 53,806 51,314 105,120 53,806 51,314
    相模 310,796 167,791 143,005 310,796 167,791 143,005 310,796 167,781 123,005
    安房 158,440 83,031 75,409 158,440 83,021 75,419 158,440 83,021 75,409
    上総 453,460 237,699 215,761 453,460 237,699 215,761 453,460 237,695 215,765
    常陸 655,507 361,246 294,261 655,500 361,246 294,261 655,507 361,246 294,261
    近江 575,216 290,500 284,716 575,216 290,500 284,706 575,216 290,500 284,716
    美濃 533,091 272,630 260,461 533,096 272,630 260,461 533,095 272,630 260,461
    上野 576,075 315,619 260,456 576,075 315,619 260,456 576,075 315,609 260,456
    陸奥 1,836,134 1,019,138 816,996 1,836,134 1,019,130 816,996 1,836,134 1,019,138 816,966
    出羽 846,255 479,223 367,032 846,255 479,223 367,032 846,255 479,223 367,052
    越前 348,052 178,316 169,736 348,042 178,316 169,726 348,052 178,316 169,736
    能登 157,765 79,973 77,792 157,765 79,973 77,792 157,765 79,073 77,792
    越中 313,562 165,793 147,769 313,562 165,793 140,769 313,562 165,793 147,769
    越後 970,185 510,703 459,482 970,185 510,703 459,482 970,185 518,703 451,482
    丹波 276,336 143,631 132,705 276,336 143,631 132,705 276,336 143,620 132,705
    但馬 156,612 81,366 75,246 156,612 81,367 75,246 156,613 83,367 75,246
    因幡 125,085 66,909 58,176 125,085 66,909 58,176 125,085 66,907 58,176
    出雲 234,896 120,354 114,542 234,896 120,394 114,542 234,896 120,354 114,542
    石見 219,512 112,283 107,229 219,512 112,283 117,229 219,512 112,583 107,529
    播磨 551,393 285,632 265,761 551,393 285,622 265,761 551,393 314,490 284,911
    備中 365,410 192,396 173,014 365,410 192,393 173,014 319,410 192,396 173,014
    備後 306,818 158,102 148,716 306,810 158,102 148,716 306,818 158,102 148,716
    安芸 396,878 202,040 194,838 396,878 202,040 194,838 396,878 202,040 194,938
    紀伊 508,674 282,975 225,699 508,674 282,975 225,699 508,174 282,475 225,699
    阿波 362,905 185,881 177,024 362,905 185,881 177,024 336,905 185,881 177,024
    筑前 307,439 171,878 135,561 307,439 171,878 135,561 307,439 171,876 135,561
    豊前 242,653 129,086 113,567 242,653 129,086 112,567 242,653 129,086 113,567
    豊後 511,880 273,145 238,735 501,880 273,145 238,735 511,880 273,145 238,735
    日向 225,421 126,409 99,012 225,421 126,409 99,012 225,421 126,409 99,900
    以上合計 25,917,830 13,818,654 12,099,176 25,907,710 13,835,666 12,098,166 25,842,337 13,876,766 12,097,628
    総数 25,917,830 13,818,654 12,099,176 25,917,830 13,818,654 12,099,176 25,917,830 13,818,654 12,099,176
  3. ^ a b c 渋井孝徳著『国史』巻二十三「地理志 第六」には、宝暦6年(1756年)の旧国別人口が収録されており、以下の論文・著作でその数字がまとめられている。この内、高橋梵仙の著作の人口は、国立国会図書館所蔵の写本による。
    • 井上瑞枝, 「大日本国古来人口考 (第三)」, 統計学雑誌,(215), pp. 59-64 (1904).
    • 高橋梵仙, 「第二篇 近世日本の人口」, 『日本人口史之研究 第一』, 日本学術振興会, pp. 87-161 (1971).
    ただし『国史』巻二十三「地理誌第六」の写本の多くは人口情報を欠き、また国立国会図書館や国立公文書館所蔵の写本や、上記文献でも微妙に数字が異なっている。そこで本項の宝暦6年の総人口、旧国別人口は、高橋梵仙により改訂された国立国会図書館所蔵本を底本とし、国立公文書館所蔵の13冊本と井上瑞枝の論文により隠岐・美作・豊後・対馬・蝦夷の総人口を改訂した。 なお速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』を介して高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』の諸国別人口を引用し、宝暦6年の総人口を2607万0712人としているが、この数字はあくまでも高橋梵仙が国立国会図書館所蔵『国史』記載の旧国別人口の合計として算出したものである(実際の国立国会図書館所蔵『国史』には出雲・石見の人口がそれぞれ32万0094人・15万9202人と記載されているほか、蝦夷の人口が2万2632人と記載されているため、正確な合計は2607万0713人と1人多い)。国立公文書館所蔵の13冊本の『国史』巻二十三「地理誌第六」の「宝暦六年日本国御領私領御惣人数」には、人都合2606万1830人、内1383万3311人男、1222万8519人女との記載があり、この数字は『官中秘策』の各種写本や『吹塵録』収録「日本国郡沿革考」に掲載されている宝暦6年の人口とも一致する。よって本項でも宝暦6年の総人口として2606万1830人を採用し、それにより男女別人口の合計との差も解消される。これらの改訂にもかかわらず依然として旧国別人口の合計は総人口よりも130人少ない。 また速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」や関山直太郎『近世日本の人口構造』は、高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』とは下野の総人口が異なる。
    宝暦6年(1756年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 高橋梵仙著作改訂 速水融監修
    総数 総数 総数
    下野 535,743 535,743 533,743
    隠岐 19,546 19,548 19,548
    美作 173,421 172,431 172,431
    豊後 511,706 521,706 521,706
    対馬 11,972 11,973 11,973
    蝦夷・松前 22,632 22,631 22,631
    以上合計 26,061,700 26,070,712 26,068,712
    総数 26,061,830 26,070,712 26,070,712
  4. ^ a b c 本項の天明6年(1786年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は以下の滝本誠一編纂『日本経済大典』に収録された「天明寛政人数帳」によるが、下野の総人口として男女別人口の合計を用いることにより下野の人口を改訂し、そのほか各旧国別総人口、男女別総人口との比較検討により、河内・陸奥・紀伊の男人口、加賀・美作・備中の女人口を改訂した。
    • 滝本誠一編, 「天明寛政人数帳」, 『日本経済大典』, 48, pp. 167-189 (1930).
    なお天明6年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』を介して「天明寛政人数帳」の人口を採用しているが、「天明寛政人数帳」とは遠江・陸奥・肥前の男人口が異なる。また速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」では旧国別人口合計として2505万7492人を掲載しているが、これは男女の旧国別人口合計の合算値であり、実際の旧国別人口合計は2508万6472人である。
    天明6年(1786年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 天明寛政人数帳 速水融監修
    総数 総数 総数
    河内 205,585 104,184 101,401 205,585 104,084 101,401 205,585 104,084 101,401
    遠江 332,100 167,367 164,733 332,100 167,367 164,733 332,100 167,368 164,733
    下野 434,791 240,354 194,437 434,797 240,354 194,437 434,797 240,354 194,437
    陸奥 1,563,719 826,775 736,944 1,563,719 826,755 736,944 1,563,719 826,775 736,944
    加賀 196,732 107,924 88,808 196,732 107,924 83,808 196,732 107,924 83,808
    美作 157,747 86,061 71,686 157,747 86,061 71,616 157,747 86,061 71,616
    備中 316,904 167,707 149,197 316,904 167,707 140,997 316,904 167,707 140,997
    紀伊 500,621 260,160 240,461 500,621 260,110 240,461 500,621 260,110 240,461
    肥前 662,342 353,167 309,175 662,342 353,167 309,175 662,342 337,612 309,175
    以上合計 25,086,466 13,230,656 11,855,810 25,086,472 13,230,486 11,842,540 25,086,472 13,214,952 11,842,540
    総数 25,086,466 13,230,656 11,855,810 25,086,466 13,230,656 11,855,810 25,086,466 13,230,656 11,855,810
  5. ^ a b c d e f 本項の寛政4年(1792年)、寛政10年(1798年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は国立公文書館内閣文庫所蔵『雑載』収録の「寛政四子年 諸国人数帳」と「寛政十午年 諸国人数帳」による。 この内寛政4年の人口は以下の南和男の論文でも紹介されている。
    • 南和男, 「寛政四年の諸国人口について」, 日本歴史, (432), pp. 42-47 (1984).
    寛政4年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」も南和雄の論文の人口を採用しているが、南和雄の論文と出羽の男人口が異なる(速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」では旧国別女人口合計として1885万6910人を掲載しているが、実際の旧国別人口合計は1185万6920人であり、総数と一致する)。
    寛政4年(1792年)の人口の相違点
    旧国 雑載 速水融監修
    総数 総数
    出羽 816,770 439,143 377,627 816,770 439,142 377,627
    以上合計 24,891,441 13,034,521 11,856,920 24,891,441 13,034,520 11,856,920
    総数 24,891,441 13,034,521 11,856,920 24,891,441 13,034,521 11,856,920

    また寛政10年(1798年)の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は文部省史料館(現・国文学研究資料館)所蔵『寛政十午年 文政五午年 諸国人数帳 二冊』(信濃国佐久郡御馬寄町田家文書からの写本)記載の数字をまとめた以下の関山直太郎の論文による寛政10年の人口を採用しているが、『雑載』収録の「寛政十午年 諸国人数帳」は集計に誤りがなく、より原本に近いと考えられる。

    • 関山直太郎, 「寛政10年及び文政5年の国別人口」, 経済理論, (37), pp. 61-74 (1957)

    寛政10年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は『雑載』と近江・陸奥・越中の総人口が異なるほか、和泉・甲斐・上総・近江・美濃・越中・越後・周防の男人口、武蔵・越後の女人口が異なる。

    寛政10年(1798年)の人口の相違点
    旧国 雑載 速水融監修
    総数 総数
    和泉 199,083 101,089 97,994 199,083 100,089 97,994
    甲斐 309,604 156,695 152,909 309,604 156,696 152,909
    武蔵 1,666,131 908,341 757,790 1,666,131 908,341 757,190
    上総 368,831 189,818 179,013 368,831 189,813 179,013
    近江 538,442 273,717 264,725 538,412 253,717 264,725
    美濃 563,863 289,504 274,359 563,863 288,504 274,359
    陸奥 1,589,178 837,908 751,270 1,589,108 837,908 751,270
    越中 337,129 178,088 159,041 337,229 178,083 159,041
    越後 1,053,674 542,672 511,002 1,053,674 567,681 511,605
    周防 357,507 185,586 171,921 357,507 181,586 171,921
    以上合計 25,471,033 13,360,520 12,110,513 25,471,033 13,359,520 12,110,513
    総数 25,471,033 13,360,520 12,110,513 25,471,033 13,360,520 12,110,513
  6. ^ a b c d e 文化元年(1804年)の総人口、男女別人口、旧国別人口をまとめた論文・著作は様々あるが、微妙に数字が異なる。このうち村田豊、井上瑞枝の論文は出典として「諸国人数帳」を挙げている。また滝本誠一編「天明寛政人数帳」記載の人口は実際には寛政期のものではなく文化元年のもので、高橋梵仙は「天明寛政人数帳」記載の総人口、男女別人口、旧国別人口を典拠とし、井上瑞枝の論文により明らかに誤記のある筑後の男女人口を改訂している。
    • 国立公文書館所蔵, 『諸国人数調 全』.
    • 村田豊, 「大日本古今人員」, 統計集誌, (3), pp. 132-134 (1881).
    • 勝安房(勝海舟)編, 「文化元甲子年 諸国人数調」, 『吹塵録 上巻』, 「人口及国高之部」, 日本学術振興会, pp. 144-149 (1890).
    • 井上瑞枝, 「大日本国古来人口考 (第三)」, 統計学雑誌,(215), pp. 59-64 (1904).
    • 滝本誠一編, 「天明寛政人数帳」, 『日本経済大典』, 48, pp. 167-189 (1930).
    • 高橋梵仙, 「第二篇 近世日本の人口」, 『日本人口史之研究 第一』, 日本学術振興会, pp. 87-161 (1971).
    本項の文化元年(1804年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は高橋梵仙によって改訂された「天明寛政人数帳」によるが、山城の総人口として男女別人口の合計を用いることにより山城の人口を改訂し、そのほか各旧国別総人口、男女別総人口との比較検討により、大和・摂津・備前・周防の男人口、備中の女人口を改訂した。 なお文化元年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』による改訂値を引用している。
    文化元年(1804年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 高橋梵仙著作改訂
    (速水融監修に同じ)
    総数 総数
    山城 469,517 242,920 226,597 469,519 242,920 226,597
    大和 340,706 174,766 165,940 340,706 174,767 165,940
    摂津 789,857 413,966 375,891 789,857 410,966 375,891
    備前 318,273 172,200 146,073 318,273 152,200 146,073
    備中 328,408 174,097 154,311 328,408 174,097 154,211
    周防 358,761 188,573 170,188 358,761 158,573 170,188
    以上合計 25,621,957 13,427,249 12,194,708 25,621,959 13,383,074 12,185,784
    総数 25,621,957 13,427,249 12,194,708 25,621,957 13,427,249 12,194,708
  7. ^ a b c 本項の文政5年(1822年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は文部省史料館(現・国文学研究資料館)所蔵『寛政十午年 文政五午年 諸国人数帳 二冊』(信濃国佐久郡御馬寄町田家文書からの写本)記載の数字をまとめた以下の関山直太郎の論文によるが、摂津の総人口 は男女別人口の合計に改訂した。この改訂によっても依然として伊勢・甲斐・伊豆・近江・下野・但馬・石見・肥前・対馬の総人口と男女別人口の合計が異なり、旧国別人口の合計は総人口よりも1487人多い
    • 関山直太郎, 「寛政10年及び文政5年の国別人口」, 経済理論, (37), pp. 61-74 (1957).
    なお文政5年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』と高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』を介して関山直太郎の論文にまとめられている国文学研究資料館所蔵『寛政十午年 文政五午年 諸国人数帳 二冊』記載の人口を採用しているが、関山直太郎の論文とは対馬の男人口、蝦夷松前の男女人口が異なる。
    文政5年(1822年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 関山直太郎論文 速水融監修
    総数 総数 総数
    摂津 799,635 417,032 382,603 790,635 417,032 382,603 790,635 417,032 382,603
    伊勢 494,640 248,985 245,652 494,640 248,985 245,652 494,640 248,985 245,652
    甲斐 291,675 148,500 143,075 291,675 148,500 143,075 291,675 148,500 143,075
    伊豆 134,722 68,471 66,253 134,722 68,471 66,253 134,722 68,471 66,253
    近江 557,491 285,027 272,466 557,491 285,027 272,466 557,491 285,027 272,466
    下野 395,045 213,472 181,577 395,045 213,472 181,577 395,045 213,472 181,577
    但馬 179,408 93,876 85,533 179,408 93,876 85,533 179,408 93,876 85,533
    石見 257,508 134,917 121,917 257,508 134,917 121,917 257,508 134,917 121,917
    肥前 683,536 359,080 324,455 683,536 359,080 324,455 683,536 359,080 324,455
    対馬 16,963 8,785 8,178 16,963 8,785 8,178 16,963 8,785 8,178
    蝦夷・松前 61,948 32,030 29,918 61,948 32,030 29,918 61,948 15,002 13,709
    以上合計 26,603,597 13,894,443 12,708,387 26,594,597 13,894,443 12,708,387 26,594,597 13,873,415 12,692,178
    総数 26,602,110 13,894,436 12,707,674 26,602,110 13,894,436 12,707,674 26,602,110 13,894,436 12,707,674
  8. ^ a b c 以下の井上瑞枝の論文は『嘉永五年壬子居闔国總人別寄帳写』を元史料として嘉永5年(1852年)の総人口、男女別人口、旧国別人口を記載しているが、『文恭公実録』や『三暇謾録』など他史料との比較から内容は文政11年(1828年)の調査人口であると推測されている。
    • 井上瑞枝, 「大日本国古来人口考 (第四)」, 統計学雑誌,(217), pp. 126-129 (1904).
    本項の文政11年(1828年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は井上瑞枝の論文記載の人口に関し、明らかに誤記のある越後の人口を改訂した高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』によるが、同様に駿河の総人口を男女別人口の合計に改訂し、さらに山城の男女人口と因幡の女人口を改訂した。この改訂によっても依然として摂津・三河・安房・能登・佐渡・因幡・伯耆・周防・阿波・豊前・豊後・大隅の総人口と男女別人口の合計が異なり、旧国別人口の合計は総人口よりも202人多い
    • 高橋梵仙, 「第二篇 近世日本の人口」, 『日本人口史之研究 第一』, 日本学術振興会, pp. 87-161 (1971).
    なお文政11年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』を介して高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』記載の人口を採用しているが、高橋梵仙の著作とは伊豆・信濃・蝦夷松前の総人口、伊豆・丹波の女人口が異なる。
    文政11年(1828年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 高橋梵仙著作改訂 速水融監修
    総数 総数 総数
    山城 498,296 257,500 240,796 498,296 250,500 247,096 498,296 250,500 247,096
    摂津 812,090 421,309 390,791 812,090 421,309 390,791 812,090 421,309 390,791
    三河 439,635 218,510 221,115 439,635 218,510 221,115 439,635 218,510 221,115
    駿河 277,763 143,544 134,219 270,763 143,544 134,219 270,763 143,544 134,219
    伊豆 136,796 69,354 67,442 136,796 69,354 67,442 130,796 69,354 97,442
    安房 140,830 71,463 69,370 140,830 71,463 69,370 140,830 71,463 69,370
    信濃 797,099 409,026 388,073 797,099 409,026 388,073 797,079 409,026 388,073
    能登 198,111 99,546 98,666 198,111 99,546 98,666 198,111 99,546 98,666
    佐渡 103,269 52,804 50,765 103,269 52,804 50,765 103,269 52,804 50,765
    丹波 291,869 151,002 140,867 291,869 151,002 140,867 291,869 151,002 140,967
    因幡 135,969 71,740 64,299 135,969 71,740 74,299 135,969 71,740 74,299
    伯耆 186,813 98,684 88,119 186,813 98,684 88,119 186,813 98,684 88,119
    周防 429,329 222,639 206,691 429,329 222,639 206,691 429,329 222,639 206,691
    阿波 454,120 233,821 220,289 454,120 233,821 220,289 454,120 233,821 220,289
    豊前 243,949 129,094 114,854 243,949 129,094 114,854 243,949 129,094 114,854
    豊後 474,540 247,169 227,357 474,540 247,169 227,357 474,540 247,169 227,357
    大隅 243,412 130,858 112,554 243,412 130,858 112,554 243,412 130,858 112,554
    蝦夷・松前 65,023 33,902 31,121 65,023 33,902 31,121 65,022 33,902 31,121
    以上合計 27,201,198 14,160,927 13,040,712 27,194,198 14,153,927 13,057,012 27,188,177 14,153,927 13,087,112
    総数 27,201,400 14,160,736 13,040,664 27,201,400 14,160,736 13,040,664 27,201,400 14,160,736 13,040,664
  9. ^ a b c d 本項の天保5年(1834年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は以下の篠崎亮の論文(元史料不明)によるが、備後の総人口・女人口、出雲の男人口に関しては、国立国会図書館所蔵『諸国人数』により数字を改訂した。
    • 篠崎亮, 「天保五年調査諸国人数帳」, 統計学雑誌, (369), pp. 14-15 (1917).
    国立国会図書館所蔵『諸国人数』の内容は以下の著作でも取り上げられている。
    • 高橋梵仙, 「第九篇 天保五年甲午十二月 『諸国人数』について」, 『日本人口史之研究 第二』, 第一部, pp. 333-343 (1955).
    なお速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は天保5年の男女別総人口をそれぞれ1405万3450人、1301万0457人としているが、引用している関山直太郎『近世日本の人口構造』と高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』や、篠崎亮の論文、国立国会図書館所蔵『諸国人数』などは共に男1405万3455人、女1301万0452人と記載しており、本項でも男女別総人口として男1405万3455人、女1301万0452人を採用する。天保5年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』と高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』を介して篠崎亮の論文の人口を採用しているが、篠崎亮の論文とは摂津の男人口、備後の総人口・女人口が異なる。
    天保5年(1834年)の人口の相違点
    旧国 本項における改訂 篠崎亮論文 速水融監修
    総数 総数 総数
    摂津 796,439 411,366 385,073 796,439 411,366 385,073 796,439 411,938 385,073
    出雲 315,270 165,593 149,677 315,270 160,593 149,677 315,270 160,593 149,677
    備後 360,656 186,924 173,732 360,659 186,924 173,735 360,659 186,924 173,732
    以上合計 27,063,907 14,053,455 13,010,452 27,063,910 14,048,455 13,010,455 27,063,910 14,049,027 13,010,452
    総数 27,063,907 14,053,455 13,010,452 27,063,907 14,053,455 13,010,452 27,063,907 14,053,450 13,010,457
  10. ^ a b 本項の天保11年(1840年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は東京大学法学部法制史料室所蔵『諸国人数帳』記載の数字をまとめ、一部の数字を改訂した以下の著作による。
    • 南和雄, 「附章 天保十一年全国人口調査について」, 『幕末江戸社会の研究』, pp. 164-185 (1978).
    なお天保11年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」も南和雄『幕末江戸社会の研究』の人口を採用しているが、『幕末江戸社会の研究』とは山城・越中・大隅の男人口、遠江・上野・因幡・肥後の女人口が異なる。
    天保11年(1840年)の人口の相違点
    旧国 南和雄著作 速水融監修
    総数 総数
    山城 445,432 226,214 219,218 445,432 216,214 219,218
    遠江 350,967 177,870 173,097 350,967 177,870 173,090
    上野 426,073 221,417 204,656 426,073 221,417 224,656
    越中 383,583 195,476 188,107 383,583 195,486 188,107
    因幡 120,879 62,353 58,526 120,879 62,353 59,526
    肥後 741,677 378,514 363,163 741,677 378,514 363,063
    大隅 97,228 51,923 45,305 97,228 59,923 45,305
    以上合計 25,918,412 13,359,384 12,559,028 25,918,412 13,357,394 12,579,921
    総数 25,918,412 13,359,384 12,559,028 25,918,412 13,359,384 12,559,028
  11. ^ a b c 本項の弘化3年(1846年)の総人口、男女別人口、旧国別人口は勝海舟著『吹塵録』上巻「弘化三丙午年 諸国人数調」によるが、男女別人口の合計値を旧国別人口として採用した。即ち『吹塵録』記載の陸奥・出雲・石見の総人口は男女別人口と異なるが、後者を総人口とした。 なお弘化3年の人口に関しては、速水融監修「江戸時代全国国別人口表-幕府調査-」は関山直太郎『近世日本の人口構造』と高橋梵仙『日本人口史之研究 第一』を介して『吹塵録』の人口を採用しているが、『吹塵録』とは摂津の総人口が異なるほか、尾張・上総の男人口、大和の女人口も異なる。
    弘化3年(1846年)の人口の相違点
    旧国 吹塵録 速水融監修
    男女計 総数 総数
    大和 361,157 361,157 183,325 177,832 361,157 183,325 177,862
    摂津 763,728 763,728 389,864 373,864 763,729 389,864 373,864
    尾張 653,678 653,678 328,343 325,335 653,678 328,353 325,335
    上総 360,761 360,761 184,362 176,399 360,761 184,361 176,399
    陸奥 1,603,881 1,607,881 830,090 773,791 1,607,881 830,090 773,791
    出雲 309,906 309,606 161,179 148,727 309,606 161,179 148,727
    石見 236,963 236,963 122,878 114,085 239,963 122,878 114,085
    以上合計 26,907,625 26,911,325 13,854,043 13,053,582 26,914,326 13,854,052 13,053,612
    総数 26,907,625 26,907,625 13,854,043 13,053,582 26,907,625 13,854,043 13,053,582
  12. ^ a b c d 江戸時代の蝦夷・松前は東山道として扱われてきたが、本表では明治以降に成立した北海道として扱う。また、旧国の配列では、伊豆の直後に甲斐を置き、出羽の直前または直後に蝦夷・松前を置くことが江戸時代は一般的であったが、本表では明治以降の慣例に従い、伊豆の直前に甲斐を置き、西海道の後に北海道として蝦夷・松前を置く。
  13. ^ a b 江戸時代、奄美諸島の人口は琉球国のものとして全国人口調査の統計から除外されたが、明治5年(1872年)、明治6年(1872年)の薩摩の人口には、奄美群島の本籍人口(『日本地誌提要』によると明治6年に10万8426人)が含まれる。明治12年(1879年)以降に奄美群島は大隅国へ編入されたものの、明治15年『統計年鑑』記載の面積では、奄美群島は薩摩国に含まれたままである。
  14. ^ a b 江戸時代を通じて琉球国は全国人口調査の統計から除外されたが、廃藩置県により一時的に鹿児島県の管轄となり、明治5年9月14日(西暦1872年10月16日)に琉球藩が発足する。ここでは明治以降の慣例に従い、統計上は西海道として扱う。琉球の人口については#琉球、奄美群島、鹿児島藩(薩摩藩)の人口変遷参照。
  15. ^ a b 幕府の全国人口調査は寛政10年(1798年)までは和人のみが対象で、約2万人のアイヌ人が集計されていない。文化元年(1804年)以降の全国人口調査ではアイヌ人も集計されている。
  16. ^ 幾つかの史料では旧国別人口の合計と総数が一致しない。
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m 地域区分は以下の通り。
    • 北海道: 蝦夷。
    • 東奥羽: 陸奥。
    • 西奥羽: 出羽。
    • 北関東: 上野、下野、常陸の合計。
    • 南関東: 武蔵、相模、上総、下総、安房の合計。
    • 北陸: 佐渡、越後、越中、能登、加賀、越前、若狭の合計。
    • 東山: 甲斐、信濃、飛騨の合計。
    • 東海: 伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、美濃の合計。
    • 畿内: 山城、大和、河内、和泉、摂津の合計。
    • 畿内周辺: 近江、伊賀、伊勢、志摩、紀伊、淡路、播磨、丹波の合計。
    • 山陰: 丹後、但馬、因幡、伯耆、隠岐、出雲、石見の合計。
    • 山陽: 美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門の合計。
    • 四国: 阿波、讃岐、伊予、土佐の合計。
    • 北九州: 筑前、筑後、肥前、壱岐、対馬、豊前、豊後の合計。
    • 南九州: 肥後、日向、大隅、薩摩の合計。
  18. ^ 延宝4年(1676年)の薩隅日三ヶ国合計人口は、慶賀人口不明。
  19. ^ 延宝5年(1677年)の薩隅日三ヶ国合計人口は、慶賀1081人の男女別人口が不明のため、男女別人口の合計と一致しない。
  20. ^ 宝永3年(1706年)の薩隅日三ヶ国合計人口は、他国居付者4155人の男女別人口が不明のため、男女別人口の合計と一致しない。
  21. ^ 明治4年(1871年)の薩隅日三ヶ国合計、薩摩国、大隅国の人口は、東郷、種子島の人口が欠落している。また、末吉郷の人口は大隅国にまた薩隅日三ヶ国合計、薩摩国、大隅国の人口は、男女別人口の合計(それぞれ72万6515人、45万6312人、19万1116人)と一致しない。欠落分を補った薩隅日三ヶ国合計、薩摩国、大隅国の人口はそれぞれ76万人台、46万3000~46万4000人、21万人台後半~22万人台と推定される。




このページでは「ウィキペディア」から江戸時代の日本の人口統計を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から江戸時代の日本の人口統計を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から江戸時代の日本の人口統計を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「江戸時代の日本の人口統計」の関連用語

江戸時代の日本の人口統計のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



江戸時代の日本の人口統計のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの江戸時代の日本の人口統計 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS