横山由清とは? わかりやすく解説

横山由清

読み方よこやま よしきよ

国学者通称保三、号は月舎。月の屋桂子養子江戸の人。本間清に師事する元老院書記官務めた著書に『皇位継承篇』『刑法篇』等がある。明治12年(1879)歿、54才。

横山由清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 00:18 UTC 版)

よこやま よしきよ
横山由清
生誕 文政9年5月1826年
江戸
死没 明治12年(1879年12月2日(53歳)
東京
職業 国学者法制史家・歌人
テンプレートを表示

横山 由清(よこやま よしきよ、文政9年5月[1]1826年) - 明治12年(1879年12月2日[2])は、江戸時代明治時代国学者歌人である。本姓は小野[3][4]従六位。通称は保三、号は月舎[2]

人物

略歴

塚越敬明の子として江戸に生まれる[2]。横山桂子の養子となって国学を本間游清伊能穎則に、和歌を義母や井上文雄に学ぶ[2]

始め和学講談所教授となる[2]が、明治2年(1869年昌平学校史料編修に任ぜられる[2]。また宇都宮義綱・瀬脇為好とともに[3]大学中助教となる。また制度局御用掛語箋編輯として法律制度の整備に携わる[2]

明治3年9月18日1870年10月12日)少史に任じられ従七位に[1]、明治4年7月29日1871年9月13日)左院に転じ権少史となり、同年12月12日1872年1月21日)正七位となる[1][3]。明治5年10月8日1872年11月8日)左院五等議官に就任[1]

明治7年(1874年)10月10日には左院四等議官となり、明治8年(1875年)2月24日、従六位に進む[1]。同年4月に元老院と改組されると、同年5月24日、少書記官となり[1]、このころ黒川真頼らと『旧典類纂』田制篇などの書物の編著をしている[2]

明治10年(1877年)1月19日、元老院を依願免本官となるが、同年3月1日、元老院御用掛、同年8月20日、文部省兼勤、同年10月25日には元老院権少書記官に任じられた[1][3]。晩年は東京大学で古代法制史を講じた[2]

明治12年(1879年)12月2日病死。墓は東京の谷中天王寺にある[2]

著書

法制史・国学

和歌

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』234-236頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 鈴木淳.『日本近世人名辞典』1103頁。
  3. ^ a b c d 『明治過去帳』新訂初版、136頁。
  4. ^ 『江戸文人辞典』406頁。

参考文献

  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。
  • 石川洋他編『江戸文人辞典 : 国学者・漢学者・洋学者』東京堂出版、1996年。
  • 竹内誠・深井雅海編『日本近世人名辞典』吉川弘文館、2005年。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横山由清」の関連用語

横山由清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横山由清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横山由清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS