震災予防調査会
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ナビゲーションに移動 検索に移動震災予防調査会(しんさいよぼうちょうさかい)とは、1892年6月27日-1925年11月13日に設置されていた文部省所轄の地震や震災に関する研究機関である。
概要
1891年の濃尾地震の被害の大きさに衝撃を受けた菊池大麓らが、地震の予防は出来なくても被害を最小限に食い止める方法を研究することは可能であるとして、帝国議会に対してそのための研究機関の設置を建議した[1][2]。明治政府もこれを受け入れ、1892年に震災予防調査会官制[3]で「震災予防に関する事項を攻究し其施行方法を審議する」ことを目的として震災予防調査会が設置された。
初代会長は加藤弘之に任ぜられ、人員は菊池、小藤文次郎、関谷清景、田中舘愛橘、長岡半太郎、大森房吉らの11名の調査会委員と幹事1名、調査事業嘱託としてジョン・ミルンから構成された[1]。調査会では地質学・地球物理学・建築学など幅広い視点から地震とその被害発生のメカニズムを研究して、地震にそれに伴う災害を防止するための対策の推進が図られ、積極的な調査・研究・提言が行われた。その後、研究の進展とともに分野が細分化され、また地磁気測量分野では海軍省水路部、緯度変化・重力測定分野では新設の測地学委員会と所轄が重複するために権限の移譲を余儀なくされるなど、その活動に制約が加えられた。更に早い時期から幹事などを務めて調査会委員会に関わってきた地震学者の大森の業績が高まるにつれてその影響力が強まり、大森のその門下が委員会を支配しているとの批判もあった。そして、1923年の関東大震災に際して有効な対策が打ち出せなかったとする批判から専門の研究所設置を求める声が高まり、寺田寅彦らの働きにより地震研究所の設置が決定され[4]、1925年の震災予防評議会の設置とともに調査会は廃止された[5]。
会長
脚注
- ^ a b “震災予防調査会”. 東京大学地震研究所 (2016年4月15日). 2019年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
- ^ “文部省に震災予防調査会設立”. 地球電磁気・地球惑星圏学会. 2007年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月20日閲覧。
- ^ 明治25年勅令第55号(震災予防調査会官制・御署名原本・明治二十五年・勅令第五十五号(国立公文書館デジタルアーカイブ))
- ^ “東京帝国大学地震研究所設立”. 地球電磁気・地球惑星圏学会. 2007年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月5日閲覧。
- ^ 震災予防評議会官制(大正14年勅令第312号)(『官報』第3968号、大正14年11月14日、p.345.)
参考文献
- 藤井陽一郎、「震災予防調査会」、『国史大辞典 7』、吉川弘文館、1986年、ISBN 978-4-642-00507-4)
震災予防調査会
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1892年に設立された震災予防調査会の目的は災害の予防に有り、『そのための地震予知方法の有無の研究と災害を最小に喰い止める方法の研究を行う』。18項目の目的をかかげて出発した。 以下は、(宇佐美龍夫 1981)より引用、 地震・海嘯・噴火・破裂に付て事実を蒐集すること。 古来の大震に係る調査すなわち地震史を編纂すること。 地質学上の調査。 地震動の性質を研究すること。 地震動伝播速度を測定すること。 地面の傾斜並にパルセイションを測定すること。 地上及び地中の震動を比較する研究。 全国の磁力を実測し等磁線の配布を測定かつ地磁気観測所を設置し、その変遷を観測すること。 地下の温度を観測すること。 重力分布及びその変遷を測定して、地殻抑圧の変化を研究すること。 緯度の変位を観測し及び水準の変遷を調査し地歪の漸進を視察すること。 構造材料の強弱を試験すること。 各種の耐震家屋を計画し、これを本邦地震の多き地方に建築すること。 構造物の雛形を作り人為の震動を与えてその強弱を試験すること。 現今の構造物中に付、震災に関係あるべきものを予め調査しておくこと。 各種の地盤上において地震動の多少を比較測定すること。 地震動を遮断するの試験をなすこと。 調査報告を出版して広く頒布すること。
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