小藤文次郎とは? わかりやすく解説

ことう‐ぶんじろう〔‐ブンジラウ〕【小藤文次郎】


小藤文次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 00:19 UTC 版)

小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日1856年4月8日〕 - 昭和10年〔1935年3月8日)は、日本地球科学者地質学岩石学鉱物学火山学地震学など、幅広く活躍した。ドイツ地理学を日本に導入し[1]日本の地質学や地形学の揺籃期に活躍・貢献をした[2][3]。また、多くの学生を育てた[4]


  1. ^ 由村百代「小藤文次郎によるドイツ地理学の導入:「地学雑誌発行ニ付地理学ノ意義ニ解釈ヲ下ス」とその原典」『地理学評論』第51巻第5号、日本地理学会、1978年、406-415頁、doi:10.4157/grj.51.406ISSN 0016-7444NAID 130003567782 
  2. ^ 小藤文次郎「琉球弧嶋の地質搆造」『地質学雑誌』第5巻第49号、日本地質学会、1897年、1-12頁、doi:10.5575/geosoc.5.1ISSN 0016-7630NAID 110003016674 
  3. ^ 矢島道子「小藤文次郎 : 日本の地質学・岩石学の父(地学者列伝)」『地球科学』第61巻第2号、地学団体研究会、2007年、155-159頁、doi:10.15080/agcjchikyukagaku.61.2_155ISSN 0366-6611NAID 110006242189 
  4. ^ 米倉伸之「日本の地形研究史」/ 米倉伸之・貝塚爽平・野上道男・鎮西清高編著『日本の地形1 総説』東京大学出版会 2001年 33ページ
  5. ^ 岡田俊裕著 『日本地理学人物事典 [近代編 1 ]』 原書房 2011年 71ページ
  6. ^ 松田時彦「濃尾地震が大地に遺したもの : 地震断層と小藤文次郎の断層原因論,その後」『地震ジャーナル』第51号、地震予知総合研究振興会、2011年6月、22-28頁、ISSN 0912-5779NAID 40019152870 
  7. ^ KOTO B.「On the cause of the Great earthquake in central Japan, 1891.」『J. Sci. Coll. Imp. Univ.(帝國大學紀要. 理科)』第5巻、College of Science, Imperial University、1893年、295-353頁、doi:10.15083/00037587NAID 10007193278 
  8. ^ 岡田篤正「濃尾地震断層系根尾谷断層」『活断層研究』第1987巻第4号、日本活断層学会、1987年、71-90頁、doi:10.11462/afr1985.1987.4_71ISSN 0918-1024NAID 130003355453 
  9. ^ 榎本祐嗣「小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について」(PDF)『歴史地震』第21号、歴史地震研究会、2006年、219-222頁、2021年7月18日閲覧 
  10. ^ 渡邊武男「小藤石(Kotoite)に就て」『地質學雜誌』第48巻第573号、日本地質学会、1941年6月、283頁、ISSN 00167630NAID 110003016549 
  11. ^ 『官報』第907号「賞勲叙任」1886年7月10日。
  12. ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
  13. ^ 『官報』第5312号「叙任及辞令」1901年3月22日。
  14. ^ 『官報』第8398号「叙任及辞令」1911年6月21日。
  15. ^ 『官報』第2391号「叙任及辞令」1920年7月21日。
  16. ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。
  17. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  18. ^ 『官報』第8105号「叙任及辞令」1910年6月29日。
  19. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
  20. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年、58頁。人事興信所編『人事興信録』第10版 上、1934年、コ61頁。


「小藤文次郎」の続きの解説一覧

小藤文次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 17:20 UTC 版)

東京地学協会」の記事における「小藤文次郎」の解説

東京大学地質学第一回卒業生の小藤文次郎は、地理学に特別の関心示し1885年明治18年ドイツ留学から帰国して理科大学教授となり、地質学研究・教育従事すると共に1889年明治22年地学雑誌創刊すると、地理学について十数回にわたって講義執筆した彼の論稿は、従来東洋的内務省地理局風の地理学ではなくドイツ見て学びそして身に付けてきた地理学だった。これは、日本語西洋風地理学体系導入した第一歩といえる明治10-20年代小藤らの地理学地学(Erdkunde)としてこれをとらえた小藤らは、地学土地の学(geo-logy)で地質学鉱物学地理学含んだのであるとした。他方で、幕末以来地理学地球星学地文学と邦制地理から構成されるというのが通説であり、小藤らの地学者の地理学地球星学地文学の自然地理的なものと、邦制地理人文的なものとを、何かしら限定理論もなく並列して顧みないといった矛盾をもっていた。しかし、地理学の中で学問として最も早く定立ていったのは、ヨーロッパ場合同様、自然科学的側面、特に地質地体構造から地貌地形に関する研究記述であった

※この「小藤文次郎」の解説は、「東京地学協会」の解説の一部です。
「小藤文次郎」を含む「東京地学協会」の記事については、「東京地学協会」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「小藤文次郎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



小藤文次郎と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小藤文次郎」の関連用語

小藤文次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小藤文次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小藤文次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの東京地学協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS