小藤堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:38 UTC 版)
天正7年(1579年)6月、近江佐和山城で丹羽長秀の三男として生まれる。母親は杉若越前守の息女。幼名は仙丸(せんまる)。天正10年(1582年)の織田信長の死後、羽柴秀吉は長秀の関心を得るために、仙丸を秀吉の弟・秀長の養子として迎えた。このため、実子の無い秀長の跡継ぎになるはずであったが、天正16年(1588年)に秀吉が自身と秀長の甥の秀保を秀長の跡継ぎにしようとしたため、高吉は居ずらくなった。後継者の地位を失った仙丸を秀長の家臣であり継嗣が不在であった藤堂高虎が養子としてもらい受け、秀長はこれを認めて、養子入りに際して1万石を遣わしたといわれる。 高虎は文禄4年(1595年)に伊予国板島7万石の大名に抜擢され、高吉もそれに従い板島に入封する。この頃、溝口秀勝の七女を娶るが間もなく離縁する。しかしその侍女を留ませて側室とし、長正をはじめとする子供たちをもうけた。
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