ねおだに‐だんそう〔ねをだに‐〕【根尾谷断層】
根尾谷断層 (岐阜県)
根尾谷断層
名称: | 根尾谷断層 |
ふりがな: | ねおだにだんそう |
種別: | 特別天然記念物 |
種別2: | |
都道府県: | 岐阜県 |
市区町村: | 本巣市根尾 |
管理団体: | 本巣市(昭2・11・30) |
指定年月日: | 1927.06.14(昭和2.06.14) |
指定基準: | 地5 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | 平成19.02.06 |
解説文: | 1891(明治24)年10月28日午前6時38分,岐阜県地方を未曾有の大地震が襲った。内陸の地震としては歴史上最大の規模の濃尾地震である。マグニチュードは8.0,有感の範囲は,北は仙台から南は鹿児島まで及んだ。この地震の震源となったのが,総延長80kmにも及ぶ根尾谷断層である。指定地での断層は,左横ずれ成分をもった正断層で落差は6mに及ぶ。この断層地形は,地震から100年以上を経過した現在でも鮮明にみることができる。 天然紀念物調査報告(鉱物ノ部)第二輯 二〇頁 参照 明治二十四年十月二十八日美濃尾張ヲ中心トシテ起リタル大地震ハ本邦ノ史乗ニ於テモ甚稀レニ見ルトコロニシテ其ノ人畜家屋等ニ及ボシタル損害甚大ナリシト共ニ學術界ノ参考トナリタル所甚多シ此ノ地震ハ本邦ニ於テ屡々見ル所ノ断層地震ニシテ而モ其ノ断層ハ明カニ地表ニ露ハレ断層地震ノ最モ好キ實例の示セリ此ノ地表ニ露ハレタル断層ハ頗ル稀有ニ属スルヲ以テ内外ノ地貭學ニ関スル参考書及教科書ニハ其ノ寫真ヲ掲載スルモノ頗ル多キニ至レリ然ルニ今ヤ此断層地ハ漸次石垣ニ改築セラレ断層ノ状態ヲ明カニ認ムルコト能サルニ至ルノ虞アルニ因リ是レ其ノ一部ヲ区劃シテ之ヲ保存スルノ殊ニ切要ナルヲ認ム 明治二十四年十月二十八日濃尾大地震はわが国の史上稀有の大規模のものである。この地震はわが国において■々見る所の断層地震であるが、その断層現象は明かに地表に露はれ根尾谷におけるものはその最も良き実例を示すものとして特に価値が高い。 |
根尾谷断層
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/19 02:01 UTC 版)



根尾谷断層(ねおだにだんそう)は、岐阜県本巣市根尾地域を中心とする活断層である。市内の
概要
1891年(明治24年)10月28日午前6時38分50秒に、根尾地域を震央として発生した濃尾地震の地震断層である。
この地震により数十キロメートルに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約80キロメートル、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量8メートル、最大上下変位量6メートルに及ぶ大規模な断層である。濃尾地震は、マグニチュード8.0という日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)であったが、その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となった[3][4]。
この根尾谷断層以前に地震断層について記録されたものが無いため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されている。また地震直後に記録写真が国内外の地震学教科書などに引用されたため世界的に知られることとなり、世界各国からも地震学の研究者も多数訪れている[1][4]。
記録写真は複数撮影されているが、小藤文次郎が論文 (Koto 1893) に掲載したものが海外に紹介されたことで、日本をはじめ世界中の教科書に掲載されて有名になった[4][5]。この写真の撮影者については、小川一真・瀬古安太郎・日下部金兵衛と複数の説がある[6]。
1965年、断層の南端部の犬山に名古屋大学の犬山地震観測所が設置され[7]、以後、常時微小地震の観測が継続されている[8]。
2007年(平成19年)5月10日、日本の地質百選選定委員会が「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定(3月)した結果が発表されたが、その1つとして、根尾谷断層も選ばれた。
場所
岐阜県本巣市根尾水鳥(みどり)地区(北緯35度37分00秒 東経136度37分11秒 / 北緯35.61667度 東経136.61972度座標: 北緯35度37分00秒 東経136度37分11秒 / 北緯35.61667度 東経136.61972度)。樽見鉄道樽見線水鳥駅付近に、断層が渡っている。後述の地震断層観察館・体験館は、同駅から徒歩2分の地点にある。
地震断層観察館・体験館
1992年3月、根尾谷断層に関する博物館「地震断層観察館・体験館」がオープンした。
脚注
- ^ a b 井関.守屋(1968).
- ^ “天然記念物”. 2021年7月5日閲覧。
- ^ 世界大百科事典 第2版
- ^ a b c 岡田篤正 1987.
- ^ “濃尾地震と根尾谷断層: 水鳥~平野”. chigaku.ed.gifu-u.ac.jp. 2021年7月5日閲覧。
- ^ 榎本祐嗣「小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について」(PDF)『歴史地震』第21号、歴史地震研究会、2006年、219-222頁、2021年7月18日閲覧。
- ^ 大井田ほか 1971.
- ^ 地震火山研究センター 沿革 名古屋大学大学院
参考文献
- KOTO B.「On the cause of the Great earthquake in central Japan, 1891.」『J. Sci. Coll. Imp. Univ.(帝國大學紀要. 理科)』第5巻、College of Science, Imperial University、1893年、295-353頁、doi:10.15083/00037587、NAID 10007193278。
- 井関弘太郎, 守屋以智雄「根尾谷断層に関する資料」『地學雜誌』第77巻第3号、東京地学協会、1968年、155-165頁、doi:10.5026/jgeography.77.3_155、 ISSN 0022-135X、 NAID 130000797547。
- 大井田徹, 山田功夫, 多田堯, 伊藤潔, 杉山公造, 佐々木嘉三「中部地方の微小地震活動 (1):根尾谷断層周辺の微小地震活動」『地震 第2輯』第24巻第3号、日本地震学会、1971年、240-247頁、doi:10.4294/zisin1948.24.3_240、 ISSN 0037-1114、 NAID 130006786154。
- 岡田篤正「濃尾地震断層系根尾谷断層」『活断層研究』第1987巻第4号、日本活断層学会、1987年、71-90頁、doi:10.11462/afr1985.1987.4_71、 ISSN 0918-1024、 NAID 130003355453。
関連項目
- 濃尾地震
- 地質・鉱物天然記念物一覧
- 樽見鉄道樽見線(神海・樽見間において延伸工事遅れの一因となった)
外部リンク
- 特別天然記念物、根尾地域の施設(本巣市)
- 文化遺産オンライン(文化庁・総務省)
- 根尾谷断層 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 薄墨桜と根尾谷断層 ホームページ
- 小藤文次郎 (1893). “On the Cause of the Great Earthquake in Central Japan, 1891”. The journal of the College of Science, Imperial University, Japan= 帝國大學紀要. 理科 (東京帝國大學理學部) 5: 295-353. doi:10.15083/00037587. NCID AA10522132 .
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