1020年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 15:00 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 10世紀 - 11世紀 - 12世紀 |
十年紀: | 990年代 1000年代 1010年代 - 1020年代 - 1030年代 1040年代 1050年代 |
年: | 1020年 1021年 1022年 1023年 1024年 1025年 1026年 1027年 1028年 1029年 |
1020年代(せんにじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1020年から1029年までの10年間を指す十年紀。
できごと
1020年
1021年
1022年
1023年
1024年
1025年
- 南インドのチョーラ朝、シュリーヴィジャヤ王国に遠征しパレンバンを占領。
1026年
1027年
- コンラート2世、ローマで皇帝として戴冠。
1028年
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
1020年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:25 UTC 版)
詳細は「1020年代」を参照 1020年 - 遼と高麗が和平を結び、高麗は遼の服属国となる。 1020年頃 - ライヒェナウ派による「バンベルクの黙示録(英語版)」が作られる。 1021年 - ファーティマ朝カリフのハーキムが消息不明となる。ハーキムの子ザーヒルがカリフとなり、姉シットゥ・アル・ムルクが摂政となる。 1022年藤原道長による法成寺の落慶供養。 フランス王ロベール2世の命によりオルレアンで異端者に対する最初の火刑が行われる。 1023年 - 北宋で交子が紙幣として発行される(世界最古の紙幣)。 1024年 - ハインリヒ2世死亡、コンラート2世ドイツ王を継承。 1025年チョーラ朝のラージェンドラ1世が再びシュリーヴィジャヤ征討の艦隊を派遣。 ピャスト家のボレスワフ1世が初代のポーランド王に選ばれる。 東ローマ皇帝バシレイオス2世が死去。弟のコンスタンティノス8世が即位。東ローマ帝国の拡張は終わる。 この時期、東方領土をめぐるビザンツ文学の英雄叙事詩『ディゲネス・アクリタス』が編纂される。 イブン・スィーナーが『医学典範(英語版)』を完成させる。 1026年 - ソランキ朝のビームデーヴ1世によりグジャラート地方モデラの太陽寺院が建立される。 1027年エルヌ教会会議(トゥールージュ会議)で「神の休戦(トレグア・デイ)」が布告される。 イングランド王クヌートがローマ歴訪で、神聖ローマ皇帝コンラート2世の戴冠式に参加。 1028年藤原道長死去。藤原行成死去。 平忠常の乱( - 1031年)。 イングランド王でデンマーク王でもあるクヌートがノルウェーの王位も兼任する(北海帝国の成立)。
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