駐日特命全権公使
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「アーネスト・サトウ」の記事における「駐日特命全権公使」の解説
1895年(明治28年)7月28日、サトウは駐日特命全権公使として日本に戻った。東京には5年間勤務したが、途中の1897年(明治30年)にはヴィクトリア女王の即位60周年式典のために一時帰国している。日清戦争に勝利した日本は、1895年4月17日に下関条約を結んだが、4月23日には三国干渉により遼東半島を清へ返還した。サトウはその後の帝国陸軍・海軍の成長を目の当たりにすることになる。サトウはまた、日本での領事裁判権が1899年(明治32年)に撤廃されるのにも立ち会った。領事裁判権の撤廃は1894年(明治27年)7月16日に調印された日英通商航海条約に含まれていた。 なお、サトウの後任として日本に着任したクロード・マクドナルドが、在任中の1905年(明治38年)に公使から大使に昇進し、初代の駐日英国大使となった。
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