駐日教皇大使として
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「ジョセフ・チェノットゥ」の記事における「駐日教皇大使として」の解説
2011年、駐日教皇大使に任命される。2012年2月15日、日本カトリック司教団が主催する「東日本大震災1周年ミサ」で当時の現役司教17人全員と司祭団の共同司式に参加した。2016年5月には特使として台湾を訪問し、蔡英文の中華民国総統就任式に参列。 2017年5月26日、熊本地震被災地視察の折にこうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)を2007年5月に開設して以来10年目を迎えた熊本市慈恵病院を訪問し、蓮田太二理事長らと面談。理事長や看護部長から「こうのとりのゆりかご」の歴史や仕組みなどの話を聞いた。「命が神様からの贈り物として扱われていることをうれしく思う」と語り、理事長に教皇フランシスコから託された十字架を渡した。 2018年には東京のいのちの行進に対し、「すべての人のいのちは神からの贈り物です。それゆえ人間はだれもが尊重され保護されなければなりません。人のいのちが神聖であるのは、それが神のかたどりであり似姿だからです。もっとも弱い状態にある人のいのちがどう扱われているか、国の民度の高さはそれによってはかられます。胎内から墓に至るまでの人のいのちを守る必要をマーチフォーライフが人々に気づかせてくれることを祈っています」とのメッセージを寄せた。 2019年には定年を過ぎていたが、教皇フランシスコ訪日準備のために延長。2019年10月22日、皇居正殿松の間で今上陛下の即位礼正殿の儀が執り行われ、フランチェスコ・モンテリーズィ(イタリア語版、英語版)枢機卿と共に参列した。 2020年の休暇にインド訪問を予定していたが、新型コロナウイルス感染症のために取りやめとなり、大使館で自粛生活を続けていた。2020年5月8日、急病のため入院。同年9月8日、小脳梗塞による大孔ヘルニアのため、東京都新宿区の聖母病院で死去。76歳没。死没日をもって日本国政府より旭日大綬章追贈。同年9月17日、カトリック関口教会にて追悼ミサが行われた。葬儀ミサは22日、インドの故郷ケーララ州の教会で行われた。臨時代理大使としてヴェチェスラヴ・トゥミル参事官が就任した。
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