駐日本大使館の外交官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 18:30 UTC 版)
「ハーフンガー」の記事における「駐日本大使館の外交官」の解説
20世紀の30年代から40年代まで、満州国駐日本大使館の参事官として、東京に駐在していた。ハーフンガーは満州国の駐日本外交官とはいえ、当時のコミンテルンの影響で、モンゴルの完全独立、内モンゴルと外モンゴルの民族統一の理想を実現するため、モスクワ中山大学から帰国したポンサグ、トゥムルバガナからの推薦で、1932年に同時まだ非公開化の内モンゴル人民革命党に参加。太平洋戦争が勃発後、アメリカを相手に戦う日本にとって、敗戦は時間の問題だと見込み、敗戦後の日本は一旦、その支配下の満州地方を撤退すると、モンゴル民族の統一にとって、大きなチャンスが訪れると判断していた。そのために、内モンゴルの自治と外モンゴルとの合併統一に向けて、準備活動を進めていた。
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