宮崎守保とは? わかりやすく解説

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宮崎守保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 04:23 UTC 版)

宮崎守保
みやざき もりやす
生年月日 1932年12月14日[1][2]
出生地 日本 埼玉県浦和市
(現・さいたま市[1][2]
没年月日 (2015-04-11) 2015年4月11日(82歳没)[3]
親族 義子・宮崎栄治郎(埼玉県議会議員・埼玉県議会第119代議長


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宮崎 守保(みやざき もりやす、1932年12月14日[1][2] - 2015年4月11日[3])は、日本政治家馬主

1975年に史上最年少で浦和市議会議長となったほか、埼玉県議会副議長を務めた[1]。また、1997年中央競馬二冠馬であるサニーブライアンの馬主としても知られる。

経歴

1932年埼玉県浦和市(現・さいたま市)の資産家のもとに生まれる[1]1967年、35歳で浦和市議会で立候補し初当選、1975年には同議会議長に史上最年少で就任した[1]。以降、埼玉県政へ転じ、1991年5月から1992年3月まで埼玉県議会副議長も務めた[4]

2015年4月11日に死去[3]。82歳没。

馬主活動

宮崎の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、紫一本輪、黄袖、冠名には「サニー」を用いた。

宮崎家は1948年にオープンした浦和競馬場地主となっており、守保は、学生時代から近くで飼養される馬を見てきたという。その1頭に1937年牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)を制したヒサトモがいた[1]繁殖牝馬を引退後に浦和競馬で再び競走馬となり、最期は心臓麻痺によって死亡したヒサトモは、守保がはじめて触れた馬だったという[1]

その後、40歳の頃に自身も馬主となり、ゴールドスペンサーが1980年1981年川崎記念を連覇するなどの活躍を見せた[1]。さらに、自身の所有馬であったサニーロマンの仔のサニースワローは1987年の日本ダービー2着となり、その甥にあたるサニーブライアン1997年皐月賞と日本ダービーを優勝しクラシック二冠を達成した。

主な所有馬

GI競走優勝馬

重賞競走優勝馬

その他の所有馬

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『優駿』2022年10月号 89-90頁
  2. ^ a b c 『埼玉年鑑 昭和61年版 別冊』183頁
  3. ^ a b c [お偲び] 宮崎守保 氏(埼玉県議会 元副議長)”. Sogi.jp (2015年4月14日). 2023年4月6日閲覧。
  4. ^ 埼玉県議会ホームページ 宮崎守保副議長 2023年4月6日閲覧

参考文献

  • 『埼玉年鑑 昭和61年版 別冊』(埼玉新聞社、1985年)
  • 優駿』2022年10月号(日本中央競馬会、2022年9月)
    • 「未来に語り継ぎたい名馬物語77 逃げの手で春二冠を奪取 サニーブライアンと鋼の意思」



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