日本ダービー優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:16 UTC 版)
その後キーストンは体調を戻し、オープン戦勝利を経て、日本ダービーを迎えた。直前にはダイコーターが馬主である橋元幸吉から上田清次郎へダービー1着賞金の倍額以上となる2500万円(2000万円とも)でトレードされ、「ダービーを金で買えるか」という論争が湧き起こっていた(上田は皐月賞前にキーストン買収を申し入れていたが、拒否されていた)。騒動の中、当日は血統的特徴から距離延長 (2400m) が歓迎されたダイコーターが圧倒的1番人気に支持され、逆に距離不安を抱え、当日雨による不良馬場で持ち味のスピードも活かせないと見られたキーストンは離れた2番人気となった。レースではキーストンが2番枠から先頭に立ち、後続を引き離して逃げを打った。後続はこれに競り掛けず、キーストンは単騎のまま楽なペースで道中を進んだ。ダイコーターは不良馬場の上で追走に苦労しており、キーストンは2番手に数馬身の差を付けたまま最終コーナーを回ると、最後の直線を逃げ切り、追い込んだ2着ダイコーターに1馬身3/4差を付けてダービー優勝を果たした。ダービージョッキーとなった山本は、これが騎手生活を通じて唯一の八大競走優勝となった。後にレースを回顧し、不良馬場がキーストンには有利に、ダイコーターには不利に働いたこと、ダービー初騎乗のため、却って緊張感なく乗ることができた点などを勝因として挙げ、またダイコーターと互角に渡り合うため、「最後の1マイル (1600m) だけ全力で出し切る」という作戦で乗っていたと語っている。
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