加藤雄策とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 加藤雄策の意味・解説 

加藤雄策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 12:53 UTC 版)

かとう ゆうさく

加藤 雄策
『日本ダービー25年史』(1959年)掲載肖像
生誕 (1901-01-06) 1901年1月6日
日本 埼玉県
死没 (1945-05-26) 1945年5月26日(44歳没)
日本 東京都
国籍 日本
出身校 商船学校
職業 出版事業者、競走馬馬主
活動期間 1935年 - 1945年
テンプレートを表示

加藤 雄策(かとう ゆうさく、1901年1月6日 - 1945年5月26日)は、日本実業家

人物

埼玉県出身。商船学校を経て出版業界に入り、平凡社専務を経て独立、非凡閣を創業した。

競馬通の作家・菊池寛との親交をきっかけとして、1934年からは競走馬馬主となり、1939年の東京優駿(日本ダービー)に優勝したクモハタ、日本競馬史上初のクラシック三冠馬セントライト(ともに顕彰馬)など、数々の名馬を所有した。

また相馬眼には一家言を持ち、「騎手調教師の中にも、馬の分かるものは幾らもいない」と言って憚らなかった[1]。イギリスで2000ギニー優勝馬となったダイオライト種牡馬として日本に輸入された際には、競馬関係者が体型から成功を疑問視したことに反発し雑誌に「ダイオライト礼讃記」を寄稿。結果、ダイオライトの血統からはセントライトやタイレイ(1940年中山四歳牝馬特別優勝)・テツザクラ京都農林省賞典四歳呼馬優勝馬)などを輩出し、加藤の見識の確かさが証明されることになった。

第二次大戦中の1945年5月25日、東京において空襲被害を受け、翌日死去した。44歳没。多磨霊園に墓所がある。

おもな所有馬

脚注

  1. ^ a b c d 菊池寛「無事之名馬」(PDF)『優駿』、日本競馬会、1941年6月、18-19頁、2012年1月17日閲覧 

参考文献

  • 日本中央競馬会編纂室編『日本ダービー25年史』(日本中央競馬会、1959年)
  • 白井透編『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)
  • 優駿』2002年4月号(日本中央競馬会)
    • 「『優駿』に見る日本の競馬60年 - 菊池寛『無事之名馬』」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「加藤雄策」の関連用語

加藤雄策のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



加藤雄策のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの加藤雄策 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS