興神社とは? わかりやすく解説

興神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 12:22 UTC 版)

興神社

拝殿
所在地 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676
位置 北緯33度46分11.3秒 東経129度43分54.2秒 / 北緯33.769806度 東経129.731722度 / 33.769806; 129.731722座標: 北緯33度46分11.3秒 東経129度43分54.2秒 / 北緯33.769806度 東経129.731722度 / 33.769806; 129.731722
主祭神 足仲彦命
息長足姫命
社格 式内社名神大論社
壱岐国一宮
村社
本殿の様式 一間社流造
札所等 壱岐国大七社
例祭 4月13日
地図
興神社
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興神社(こうじんじゃ)は、長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触にある神社式内社名神大社論社壱岐国一宮で、旧社格村社

祭神

祭神は次の2柱。

歴史

付近にはかつて壱岐国府があったと考えられており、社名の「興」は「国府(こふ、こう)」の意味とされる。国府の倉の鍵である「印鑰(いんにゃく)」を保管していたことから、近世には「印鑰神社」とも呼ばれていた。境外社の壱岐総社神社は壱岐国の総社にあたる。

延宝4年(1676年)、神道家橘三喜が壱岐の式内社を調査した際に、当社を式内小社「與神社」に比定した。しかし、これは興と與(与)を見誤ったためと考えられており、近年の研究では、式内名神大社の「天手長男神社」が当社であり、壱岐国一宮であったとする説が有力となっている。延宝4年の調査の際に、天手長男神社は壱岐市内の郷ノ浦町田中触の若宮社に比定され、壱岐国一宮の称もその神社に移ったが(現 天手長男神社)、それ以降も当社を「一の宮」と呼ぶ通称は残った。

明治9年(1876年)12月に村社に列し、明治40年7月に神饌幣帛料供進神社に指定された。

ギャラリー

外部リンク

  • 天手長男神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」




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