ちょうかい‐さん〔テウカイ‐〕【鳥海山】
鳥海山(秋田県・山形県)
2236m 北緯39度05分57秒 東経140度02分56秒 (新山)(測定点) ※座標は世界測地系による
2229m 北緯39度05分58秒 東経140度03分05秒 (七高山)(三角点) ※座標は世界測地系による
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概要
玄武岩~安山岩(SiO2 51~62%)の成層火山。基底の直径は、東西26km、南北14km。地形的には、なだらかで侵食が進んだ西鳥海山とやや急峻で新しい溶岩地形をもつ東鳥海山に二分され、それぞれの山頂部に山体崩壊によって生じた馬蹄形カルデラがある。
活動史は大きく3期に区分される。第1期はこの火山の主体を形成した時期、第2期は溶岩が西鳥海山の表面を覆った時期、第3期は山体東部に円錐形の東鳥海山が形成された時期(西山腹猿穴火口からの溶岩流を含む)。約2,600年前、東鳥海山の山頂部が崩壊して岩屑なだれが北から北西に流下し、北に開く馬蹄形カルデラが生じた。象潟(きさかた)、由利原の多数の流れ山はこの堆積物の地形。同カルデラ形成後、カルデラ内山頂部付近の活動が続き、溶岩流がカルデラの約1/3を埋積した。
東鳥海山の2つの中央火口丘のうち、新山(別名、享和岳)は、1801年の噴火で生じた溶岩ドーム。有史後の活動は、1801年の噴火以外は火山灰の放出であった。泥流を生じやすい。
別名、出羽富士、秋田富士、羽山。
最近1万年間の活動
約2万年前から、主に現在の山頂を作る東鳥海火山体の形成時期にあたる。一方、縄文時代には山体西部の猿穴火口で噴火活動が発生し、溶岩流が日本海に達した。その後、約2600年前には東鳥海火山体の山頂付近で大規模な山体崩壊が起こり、北に開いた馬蹄形カルデラが形成された。この時の崩壊堆積物は象潟岩屑流と呼ばれ、北~北西麓に広く分布している。その後の活動は、この馬蹄形火口内における溶岩の流出ち水蒸気爆発が主体である。歴史に残る1801年の噴火活動がでは、新山溶岩ドームが形成された(林:1984、中野:1993)1974年には小規模な水蒸気爆発があった(宇井:1975)。
記録に残る火山活動
※「概要」及び「最近1万年の活動」については日本活火山総覧(第3版)(気象庁編、2005)、「記録に残る火山活動」については前述の活火山総覧及び最近の観測成果による。火山活動解説資料
気象庁が実施した火山観測データの解析結果や、火山活動の診断結果を掲載します。毎月1回、上旬に公表します。2004年に鳥海山の調査観測を実施しました。このうち、現地観測の結果を掲載しました。最新号(2004年10月の火山活動解説資料(pdf:263kb))
鳥海山
名称: | 鳥海山 |
ふりがな: | ちょうかいざ(さ)ん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 2県以上 |
市区町村: | 山形県飽海郡遊佐町、秋田県由利本荘市森子・矢島町、にかほ市象潟町 |
管理団体: | 由利本荘市、にかほ市 |
指定年月日: | 2008.03.28(平成20.03.28) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成21.07.23 |
解説文: | 鳥海山は山形県と秋田県との県境にまたがり裾野を日本海に広げる独立峰の火山(標高2,236m)で、古代から現代に至る信仰の山である。大物忌神は承和5年(838)を初見に神階の奉授がくり返される。大物忌神社の祭神は近世以降倉稲魂神(農業神)とされるが、古代の史料からは祭神は大物忌神であり、鳥海山を神体山とするもので、その神名は天変地異に対する畏れ慎みを意味する「物忌」に発すると考えられる。月山神社も同所に祀られ、神仏習合の進行のなかで、「出羽国一宮両所大菩薩」等の呼称を生んだ。鳥海山には山形県遊佐町吹浦、蕨岡、秋田県にかほ市小滝、院内、由利本庄市滝沢、矢島の各登拝口があり、秋田県由利地方と山形県庄内地方を中心に信仰された。江戸時代には登拝口の間で鳥海山の祭祀権をめぐる争いがあった。明治13年(1880)、鳥海山山頂の社殿を「本殿」、吹浦・蕨岡に鎮座するふたつの大物忌神社をその「口ノ宮」とし、三社をもって「国幣中社大物忌神社」とすることが決められた。 古代国家の辺境にあって、古代には国家の守護神として、また古代末から中・近世を通じては出羽国の中心的信仰の山として崇敬され、特に近世以降は農業神として信仰された鳥海山の信仰の中心を担う大物忌神社は、古代から中・近世の宗教・信仰の実態を知るうえで重要である。 |
鳥海山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 18:38 UTC 版)
鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん[2])は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山。山頂に雪が積もった姿が富士山に類似しているため、出羽富士(でわふじ)とも呼ばれ親しまれている。秋田県では秋田富士(あきたふじ)、山形県では庄内富士(しょうないふじ)とも呼ばれている。古くからの名では鳥見山(とりみやま)という。鳥海国定公園に属する。日本百名山[3]・日本百景の一つ。2007年(平成19年)に日本の地質百選に選定された。2009年(平成21年)に国史跡「鳥海山」として指定された。
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- ^ 地図閲覧サービス 2万5千分1地形図名:鳥海山(新庄)(国土地理院、2010年12月31日閲覧)
- ^ a b 日本の主な山岳標高:山形県(国土地理院、2010年12月31日閲覧)
- ^ 『日本百名山』深田久弥(著)、朝日新聞社、1982年、ISBN 4-02-260871-4
- ^ 「土屋巌:鳥海山貝形小氷河の雪氷気候学的研究 (1) 一年々変動と年層構造」 『雪氷』 1977年 39巻 2号 p.65-76, doi:10.5331/seppyo.39.65
- ^ 鈴木正崇「山岳信仰の展開と変容ー鳥海山の歴史民俗学的考察ー」『哲学』三田哲学会(慶應義塾大学)128集、2012年、447-514頁
- ^ 岩崎敏夫 編 『東北民俗資料集(二)』 萬葉堂書店 1972年10月 の「鳥海山信仰」に収録された山形県飽海郡遊佐町の民間伝承より。話者は遊佐町の高橋佐太郎。
- ^ a b “飛島ってどうやってできているの”. 酒田市教育委員会 企画管理課. 2020年1月6日閲覧。
- ^ 光谷拓実,2001, 年輪年代法と文化財.日本の美術, no.421, 98p., NAID 40003011166
- ^ a b 栗本康司、大山幹成、斎藤一樹、工藤佳世、足立幸司、高田克彦、「鳥海山の岩屑なだれにより埋没した樹木(埋もれ木)の研究」 『秋田県立大学ウェブジャーナルA(地域貢献部門) 』 4巻, 2017-03-31, p.10-18, 秋田県立大学(地域連携・研究推進センター)
- ^ 鳥海山 産業技術総合研究所 地質調査総合センター 中野俊
- ^ a b c 鳥海山 有史以降の火山活動 気象庁
- ^ 群馬大学教育学部 早川由紀夫研究室 『稲荷山の鉄剣と榛名山の噴火』
- ^ 宇井忠英、柴橋敬一、「鳥海山 1974 年の火山活動」 『火山.第2集』 1975年 20巻 2号 p.51-64, doi:10.18940/kazanc.20.2_51, 日本火山学会
- ^ 「鳥海の噴煙、第一報は機長 45年前の全日空社報見つかる」『山形新聞』、2019年3月1日。2019年10月29日閲覧。
- ^ a b c d e 姉崎岩蔵 『鳥海山史』 (株)国書刊行会 1983年12月 より。
- ^ a b c d 安斎徹・橋本賢助・阿部正巳 『山形郷土研究叢書第7巻 名勝鳥海山』 国書刊行会 1982年11月 より。
- ^ a b 谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 12 東北・北海道』 (株)白水社 1984年6月 より。
- ^ a b 『続日本後紀』承和7年(840年)7月26日の条、『日本三代実録』元慶8年(884年)9月29日の条および仁和元年(885年)11月21日の条では大物忌神が石の兵器(『日本三代実録』の記述によれば石の鏃)が振ったとの記述が見られるが、これは石器を含んだ古代遺物の包含層が雨や波の浸食によって削られ、土中の石器が表出したものを、当時の人々が「大物忌神が石の鏃を降らせた怪異」と理解した可能性がある事を『山形郷土研究叢書第7巻 名勝鳥海山』および『鳥海山史』では述べている。
- ^ a b c 山形県 『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』 山形県 1979年3月 より。
- ^ 山形県神社庁五十周年記念事業実行委員会出版部 編 『山形縣神社誌』 山形県神社庁 2000年4月 より。
- ^ a b c d e f g 「鳥海山南麓岩石採取問題 遊佐町が業者の土地購入方針」(『荘内日報』2013年11月1日)
- ^ a b 「鳥海山麓東部地区における岩石採取について」(山形県ホームページ、2013年6月17日)
- ^ a b c d e f 「遊佐町、土地購入の方針」(『朝日新聞』2013年10月30日)
- ^ a b 「鳥海山採石 山形県、業者計画を認可」(『河北新報』2013年12月4日)
- ^ “山形県遊佐町の採石訴訟、県の申請拒否処分を取り消し 山形地裁”. 産経新聞. 2018年11月21日閲覧。
- ^ “山形県遊佐町の採石事業訴訟、控訴断念”. 産経新聞. 2018年11月21日閲覧。
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