摩耶型砲艦とは? わかりやすく解説

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摩耶型砲艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/13 02:15 UTC 版)

摩耶型砲艦
艦級概観
艦種 砲艦
艦名 山の名
前級
次級
要目(摩耶)
排水量 常備:622トン
全長 垂線間長:46.85m [1]
全幅 8.20m[1]
吃水 3.34m[1]
機関 円缶2基[1]
横置式2気筒2段膨張レシプロ2基
2軸、614馬力[1]
速力 10.25ノット(計画)[1]
航続距離
燃料 石炭74トン[1]
乗員 111名
兵装
1894年
15cm砲2門
4.7cm砲2門
25mm4連装機砲2基
装甲

摩耶型砲艦(まやがたほうかん)は日本海軍砲艦。同型艦4隻。

概要

1883年(明治16年)度に3隻、1885年(明治18年)度に1隻の合計4隻が建造された。国内の民間造船所が活用され、横須賀造船所で1隻(愛宕)が建造された他は、小野浜造船所で2隻(摩耶、赤城)、石川島平野造船所で1隻(鳥海)が建造された。船体は鋼製船体へ移行する時期となり「摩耶」と「鳥海」は鉄製、「愛宕」は鋼骨木皮、4番艦の「赤城」は鋼製となった。

兵装は当初24cm砲1門、15cm砲1門を搭載する予定だったが、兵装が過大という批判があり各艦とも砲を減らし、それぞれ違った砲を搭載している。新造時の兵装は以下の通り。(『日本補助艦艇物語』巻末の要目表による。)

  • 摩耶:15cm砲2門、4.7cm砲2門、25mm4連装機砲2基
  • 愛宕、鳥海:21cm砲1門、12cm砲1門、25mm4連装機砲2基
  • 赤城:12cm砲4門、4.7cm砲4門、30mm5連装機砲2基

4隻は1888年(明治21年)から1890年(明治23年)に竣工し1894年(明治27年)からの日清戦争に参加、1898年(明治31年)の類別制定で砲艦に類別された。日露戦争中の1904年(明治37年)に愛宕が座礁で失われた他は3隻とも1908年(明治41年)と1911年(明治44年)に除籍、摩耶と赤城は売却され民間で使用された。特に赤城は太平洋戦争後まで使用され、1953年(昭和28年)に解体されている。

同型艦

参考文献

  • 中川努「日本海軍特務艦船史」
世界の艦船 増刊第47集』(海人社、1997年3月号増刊、第522集)

脚注

  1. ^ a b c d e f g 要目は『世界の艦船 日本特務艦船史』p78による。『日本補助艦艇物語』によるとボイラー6基となっているが、煙突径より2基が正しいと判断した。その他の要目も『日本補助艦艇物語』では大きく違い、垂線間長154ft(=46.94m)、幅27ft (=8.23m)、吃水9ft 8in (=2.95m)、出力963馬力、速力10ノット、石炭74.4トン。

関連項目






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