噴火活動
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現在の平成新山を形成した噴火活動は当初、1989年(平成元年)11月からの橘湾群発地震 に始まったとされていたが、その後の観測データの再検討により、実際は1968年頃より雲仙火山は活動期に入っていたことが判っている。最初の群発地震は1968年頃より始まり1975年まで継続し、1973年には眉山付近でも震度3を最高に有感地震が11回発生している。この活動の最終段階で普賢岳東側の板底(おしが谷)で大量の火山性ガスが噴出し、30本ほどの杉が被害を受けた。1975年には周囲に鳥獣の死骸が散見され、岩の割れ目からは高濃度の二酸化炭素が検出。この一帯は1792年の噴火のときにも火山性ガスが噴出しており、この岩場は毒石と呼ばれていた。1975年以降も低調ながら地震は散発的に発生しており、1979年6-9月には眉山東麓を震央とする最大震度5相当の強い揺れを筆頭に89回の有感度地震が発生している。島原温泉では溶存炭酸ガス濃度が1975年より急上昇し、30%も増えた場所もあった。1984年4月より橘湾で群発地震が相次ぐようになり、葉山南側付近を震央とするM5.7、震度5の地震が8月に起きている。この地震を契機に島原半島の隆起が観測され始めており、橘湾からのマグマ供給が始まったとされる。 1990年(平成2年)11月17日に山頂付近にある神社脇の2か所より噴煙が立ち上り噴火。この噴火は2つの噴火孔より熱水の吹き上げと雲煙を認めるのみであった。同年12月には小康状態になって道路の通行止めなども解除になり、そのまま終息するかと思われたが、1991年(平成3年)2月12日に再噴火。さらに4月3日、4月9日と噴火を拡大していった。5月15日には降り積もった火山灰などによる最初の土石流が発生、さらに噴火口西側に多数の東西方向に延びる亀裂が入り、マグマの上昇が予想された。5月20日には地獄跡火口から溶岩の噴出が確認。溶岩は粘性が高かったために流出せず火口周辺に溶岩ドームが形成された。溶岩ドームは桃状に成長しやがて自重によって4つに崩壊。その後も溶岩ドーム下の噴火穴からは絶え間なく溶岩が供給されたため、山頂から溶岩が垂れ下がる状態になり、形成された順番に第1-第13ローブと命名された。溶岩ドームの崩壊は、新しく供給されるマグマに押し出されたドームが斜面に崩落することにより発生し、破片が火山ガスとともに山体を時速100kmものスピードで流れ下る火砕流(メラピ型火砕流)と呼ばれる現象を引き起こした。噴火活動は途中一時的な休止を挟みつつ1995年(平成7年)3月頃まで継続した。火砕流が世界で初めて鮮明な映像として継続的に記録された噴火活動である(過去には、プレー山などの火砕流が写真としては多く記録されており、小規模なものの映像も撮影されている)。
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噴火活動
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1990年代に知床硫黄山の噴火史調査が行われた際に、最近の2000年間で複数回の活動が確認され1996年に活火山として指定されたが、19世紀末以降の噴火活動と1996年以降の噴気活動は認められない。山頂付近に存在する溶岩流や溶岩ドームには新鮮な地形が残っており3つの時期に形成された可能性が指摘されている。 最近の2300年間では、2200〜2300年前、1400〜1600年前、500〜700年前の3時期に火山活動が活発であった。 2200〜2300年前の活動 比較的規模の大きな噴火が発生し、降下テフラや火砕流が噴出。 1400〜1600年前の活動 プリニー式噴火による降下テフラと火砕流。 500〜700年前の活動 降下テフラや火砕流。
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噴火活動
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約9万年前に由布岳とほぼ同時期に火山活動を開始した火山で、主な岩石は安山岩及びデイサイトとなっている。鶴見岳は南北約5kmにわたる溶岩ドーム群の南端に位置しており、北端には伽藍岳が位置している。2003年に気象庁の見直しによって、活火山として認識すべき範囲が拡大され、気象庁指定の火山としては伽藍岳を加えて鶴見岳・伽藍岳と呼ばれるようになった。 10,600-7,300年前の間に鶴見岳山頂で噴火が発生し溶岩流を形成。 1,900年前に鶴見岳山頂付近でブルカノ式噴火が発生し、火山灰が鶴見岳の南側斜面に堆積した。 771年(宝亀3年)7月9日、伽藍岳で水蒸気噴火が発生。泥流によって死傷者多数、家屋損壊した。 849年(嘉祥2年)頃に山頂北側で水蒸気噴火をした記録がある。 867年(貞観9年)2月28日、伽藍岳で水蒸気噴火が発生。青泥池、黒池、赤池が震動し硫黄臭が遍満する。さらに噴火し、沙泥が数里四方に積もる。泉が沸騰し、川となって山麓の道路を塞ぎ、川に至って魚数千万が死ぬ。 1949年(昭和24年)2月、鶴見岳山頂の北西約500m、標高1,100m付近で面積約30m2の楕円形内の多数の噴気孔から高さ約10mの白色噴気が上がる。 1974年(昭和49年)12月、1949年と同じ場所から150m程度の噴気があり、以後2017年現在まで噴気が継続している。気象庁により鶴見岳地獄谷赤池噴気孔と命名されている。 1995年7月、伽藍岳の珪石採掘場に泥火山が形成され、同年11月には高さ1m、直径10×7m、深さ4mの楕円状の泥火山となった。周囲には噴気帯が広がっており、2017年現在まで活動が継続している。
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噴火活動
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1995年(平成7年)10月から1996年(平成8年)4月にかけて、北東側山腹の硫黄山と呼ばれる付近で噴火活動が発生し、噴気や降灰が観測された。これは、九重連山では333年ぶりの噴火にあたる。火山活動に伴う有毒ガスのために、星生山は2002年(平成14年)まで立ち入り禁止とされた。
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噴火活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 04:37 UTC 版)
活動時期は放射性炭素年代測定法により1万2千年前と推定される。 水分の多い水蒸気爆発で始まり、プリニー式噴火から火砕サージを噴出する爆発的噴火に移行しカルデラが形成された。カルデラ形成後は、外部由来の水分との接触による爆発的噴火が繰り返され、マグマ水蒸気爆発が起きた。噴出量は 10.9km3。 噴火活動との関連は不明であるが、2012年から2013年 M 3.6を最大とする、群発地震活動を観測している。
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