伊勢美登とは? わかりやすく解説

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伊勢美登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/20 07:00 UTC 版)

 
伊勢美登
時代 昭和時代 - 平成時代
生誕 (1924-12-09) 1924年12月9日[1]
死没 (2009-05-18) 2009年5月18日(84歳没)
神号 伊勢美登大人之命
主君 昭和天皇上皇
父母 父:伊勢岩吉
子供 文一
奉職神社 橿原神宮
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伊勢 美登(いせ よしのり、1924年大正13年〉12月9日 - 2009年平成21年〉5月18日)は、日本神職橿原神宮宮司

生涯

出生と前半生

大正13年(1924年)、奈良県に生まれる[1]

昭和16年(1941年)、畝傍中学校を卒業する[1]。同18年(1943年)、運輸省水路部技術官養成所を修了し、海軍気象部に入った[1]

神道人として

昭和27年(1952年)、奈良県神社庁の録事に就任する[1]

昭和29年(1954年)、橿原神宮出仕となり[1]、さらに昭和33年(1958年)には同宮権禰宜、昭和43年(1968年)に同宮禰宜と昇進し、平成9年(1997年4月1日に権宮司に就任した[2]

橿原神宮宮司

平成12年(2000年5月15日、宮司に昇任した[2]。同年8月8日、御鎮座百十年記念献燈祭を斎行した[2]

平成14年(2002年5月29日神武天皇陵への参拝を終えた当時の今上天皇皇后が橿原神宮に到着すると、伊勢が2人を先導して幣殿まで率いた[3]

平成15年(2003年)、奈良県神社庁長に就任し、平成19年(2007年)まで務めた[2]。また、神社本庁監事、同評議員、国民精神研修財団監事、神道政治連盟監査委員長、同連盟奈良県本部長などを務めた[2]

平成19年(2007年)9月30日、宮司を退き、名誉宮司に就任した[2]

平成21年(2009年5月18日22時5分、橿原市の病院に於いて、心不全により死去した[+ 1]。83歳だった[2][+ 1]。喪主は長男の文一が務めた[+ 1]。同年7月4日にはセレモニーホール橿原に於いて橿原神宮葬が執り行われた[+ 1]

著作

  • 「天皇皇后両陛下の橿原神宮御親拝を仰いで」『祖国と青年』第287号、日本青年協議会、2002年8月、8-10頁。 

系譜

  • 父親:伊勢岩吉[1]
  • 長男:伊勢文一[+ 1]

脚注

書籍出典

ニュースサイト出典

  1. ^ a b c d e 伊勢美登氏死去」『SHIKOKUNEWS』四国新聞社、2009年5月22日。2022年8月30日閲覧。オリジナルの2022年8月30日時点におけるアーカイブ。

参考文献

  • 『神道人名辞典』神社新報社編、神社新報社、1986年7月8日。 
  • 『橿原神宮史続編』田浦雅徳監修、橿原神宮庁、2020年4月2日。 



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