伊勢継子とは? わかりやすく解説

伊勢継子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 09:17 UTC 版)

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伊勢 継子(いせ の つぎこ、宝亀3年(772年) - 弘仁3年7月6日812年8月16日))は、平城天皇の側室。木工頭伊勢老人(いせのおきな)の娘[1]高岳親王嵯峨天皇皇太子)・巨勢親王・上毛野内親王・石上内親王・斎宮大原内親王の母。

2歳年少の安殿親王(後の平城天皇)の皇太子時代に早くから入侍し、彼との間に2男3女を産んだ。平城天皇即位後、大同3年(808年)11月に無位から正五位下に叙位され、翌年の大同4年5月、河内国内蔵寮田11町を賜った(但し、継子の死後は再び内蔵寮田とするという条件が付いていた)。810年薬子の変で高岳親王が皇太子を廃された。弘仁2年(811年)4月、従四位下山城国紀伊郡京都市伏見区南区東山区のそれぞれ一部)の田2町を賜った。弘仁3年7月6日、41歳で卒去。没後に従三位を追贈された。

参考文献

  • 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
  • 角田文衛監修『平安時代史事典角川書店、1994年。
  • 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。

脚注

  1. ^ 上田正昭ほか監修、三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第5版』 三省堂、2009年、111頁。 

関連項目


伊勢 継子(いせ つぎこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 07:15 UTC 版)

DARK EDGE」の記事における「伊勢 継子(いせ つぎこ)」の解説

三の姉。作曲才能がある。四辻学園に通う予定であったが、白血病のため病院入院生活送っている。三が預かったポチから話を聞かされ会ったことのない九郎恋をする三とは違い以前から室井面識持っていたようである。三のことはあくまで兄弟としか見ておらず、彼からの愛情拒絶している。伊勢イビルジーン受け継ぎ不死族になる。不死族としても雌シードとしての性質からか、テリトリー違和感持っていた。

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