薨去後とは? わかりやすく解説

薨去後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 16:44 UTC 版)

秩父宮雍仁親王」の記事における「薨去後」の解説

薨去先立ち遺書したためており、その中で遺体解剖附すこと」「火葬にすること」「葬式如何なる宗教にもよらない形式とすること」を指示していた。勢津子妃が天皇許可求めたところ、昭和天皇は「秩父宮遺志尊重するように」とこれを即座に許し皇族として異例病理解剖が行われた。 1953年1月12日葬儀皇族として最低限神道形式行われ皇族各国大使スポーツ関係者800人が参列したその後無宗教での一般告別式が行われ、2万5000名あまりの市民秩父宮遺体拝礼した。その後午後1時から火葬された(皇族埋葬は、当時土葬基本)。遺骨は、同日午後4時20分に、豊島岡墓地比翼塚形式簡素な墓に愛用の品とともに埋葬された。 この葬儀に、昭和天皇出御しなかった。これは天皇親王など「目下」の者の葬儀出御した前例がなく、皇室喪儀令廃止されたが、基準となっている)にも規定がないため、天皇出御することで仰々しくなり秩父宮遺志に副わないと懸念から、出御断念したのである。ただし、天皇・皇后何度も遺骸対面し、翌13日には墓へ参拝している。また秩父宮存命時の見舞いも、天皇見舞うのは危篤場合のみという前例から、結局果たせなかった。 1995年平成7年8月25日に、秩父宮妃勢津子薨去により秩父宮家絶家となった

※この「薨去後」の解説は、「秩父宮雍仁親王」の解説の一部です。
「薨去後」を含む「秩父宮雍仁親王」の記事については、「秩父宮雍仁親王」の概要を参照ください。

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